嵐が丘
serial_7









走り去る車を見送り、五右ェ門はため息をついた。やはりあの男の考えることはよく分からない。
リビングに戻ると次元の姿は消えていた。      いや、いた。窓の下に座り込んでいる。

「どうした。」
「・・・・・・いや。」

のろのろと立ち上がる男に、一応聞いてみる。

「よいのか、ルパンは。ひどい雪だが。」
「心配ねえよ。」

疲れ果てた顔で、次元がすれ違う。「寝る」という言葉と共にドアが閉まった。

「・・・・・・。」

自分も、もう寝よう。
照明のスイッチを切ると、部屋全体がふっ、とほの白く浮き上がった。振り返る五右ェ門の目に、窓の雪が閃く。
呼ばれるように、足が動いた。

雪の描く白い線は、いまや散り散りに掻き乱されていた。突風に煽られ、不規則な方向へ飛ばされてはまた舞い
戻ることを繰り返す。

      もう、仕舞いにしよう。

一つだけ、分かったことがある。
あの男は死ぬほど苦しんでいる。
何が理由かは分からぬが、自分の存在が影響していることは間違いなかった。あるいは、そばに寄るだけで変調
をきたす自分の様子に、何か気づいたのかもしれない。
そうだ、気づかぬはずがないではないか。
思っただけで全身が熱くなった。      しかし、もしそうだとしたら。

次元は「行くな」と言ったのだ。

ゴオッ、と唸る風の音で、我に返る。
何十回も繰り返した思考の渦にまた落ちていたことに気づき、息をついた。

      未練だ。

行き場のないこの懊悩と執着に、自分が迷うだけならいい。次元にそのツケが回ることは、耐えられなかった。

もう、よい。
明日、去ろう。
千々に乱れる雪を眺め続けた。



     *



      眠れる訳がねえ。

毛布を被り丸くなったのも束の間、五分で次元は跳ね起きた。恐ろしく寒い。あと五分ここにいたら凍死する。
暖房のスイッチは入っているはずなのに、部屋が暖まる気配は一向になかった。一枚しかない毛布を通して、体
の熱がどんどん逃げてゆく。
確か、リビングに暖炉がなかったか。
思いついて、ベッドから脚を下ろす。
一瞬、考えた。

      もし、五右ェ門がいたら。

床から這い上がる冷気に、体が滑稽なほどわななき始める。迷っている余裕はなかった。
もしまだいたら、その時は、戻って来ればいい。
体に毛布を巻き付け、立ち上がった。


リビングのドアを薄く開くと、暗い室内が見えた。どうやら侍はいないらしい。ホッとして滑り込み、電灯のスイッチ
を探り当てた。

     !」

明かりの点いた瞬間、次元は飛び上がるほど驚いた。窓際に立つ侍が、眩しそうに目をしばたかせている。

      おまえ、何してんだ。」
「・・・・・・雪を・・・・・・、」

見ていたのだと侍が呟く。部屋に戻れと言い聞かせても、首から下がもう喜んでしまって言うことを聞かない。次
元は呻いた。

「どうしたのだ。」
「・・・・・・いや・・・・・・、」

      仕方がない。
諦めた途端に、脚が嬉々として暖炉の方へ向かう。


着火バーナーも焚き付け用の小枝も揃っていた。ただ肝心の薪が数本しかない。

「・・・・・・ないよりマシか・・・・・・。」

毛布を被ったまま火を入れた。小枝が勢いよく燃え上がる。パチパチと爆ぜる音は情緒を通り越してうるさいくらい
だったが、煙の匂いは悪くなかった。じんわりと頬が温まり始める。
音もなく侍が歩み寄った。浮き立つ心を必死で抑える次元の目に、裸の足がふと止まる。信じられなかった。

      寒くないのか、お前。」
「感じぬようにしている。」
「・・・・・・。」

意味が分からない。ほんとに人間かよ、と呟いた。五右ェ門が黙って隣に腰を下ろす。顔の下半分を照らすオレン
ジの揺らめきが、次第に激しくなった。
不意に、侍が言う。

「・・・・・・人間の生活ではなかったかもしれぬ。」
      何の話だ?」
「子供の頃だ。およそ人に耐えられぬものなどない、と教えられた。実際、耐えた。」
「・・・・・・。」

五右ェ門の声に抑揚はない。一体どんな荒業をしのいできたのか、見当もつかなかった。

「お主らは正反対だな。忍耐とは無縁の人生だ。」
「悪かったな。俗人中の俗人で。」
「褒めているのだ。      おかげで拙者も、」

人間に戻れた、と呟き、侍が口の端を少し上げる。時折見せる、あの悪ぶった笑みだ。
ちらりと見やり、毛布を頭の上に引き上げた。

なんてザマだ。
この俺が顔を上げることもできないなんて。こんな笑み一つにやられちまうなんて。


      五右ェ門。


もう侍は何も言わない。黙る二人を、炎が照らした。
風はよほど強いらしい。どーん、という轟音と共に、時折、窓ガラスがびりびり震える。


どのくらいたったか分からない。
前触れもなく、燠火が翳り始めた。
やはり薪が全く足りない。ぶるっ、と体を震わせる次元を、侍が掠め見た。食いしばる歯の奥から、ガチガチという
音が鳴り始める。
やおら立ち上がり、侍は部屋を出て行った。

「・・・・・・。」

震えはますますひどくなる。いっそ家ごと燃しちまうかと考えていると、侍が戻って来た。毛布を二枚持っている。
重ねて広げ、黙ってふわりと次元に被せた。

「・・・・・・悪ぃ。」
「・・・・・・。」

重みを増したそれを、体にしっかり巻き付けようと寄せ上げた。
くい、と侍が端を引っ張る。

「・・・・・・?」

やっぱり一枚欲しいのか?
片手を離した瞬間、

「!!」

毛布の右側がいきなり引きはがされた。抗議の声を上げる間もなく、侍が、隣に滑り込んでくる。

「お、おい!」
「・・・・・・。」

黙って五右ェ門は毛布を巻き、その端を次元の前で合わせた。一つの毛布の中で触れる腕が、腰が、どうしよう
もなく温かい。不意に流れてきた髪の匂いに、意識がぶっ飛びそうになった。

「・・・・・・これで少しは温かろう。」

怒ったような声を出し、侍が身を寄せる。ぎゅう、と腕がくっつき、次元は声にならない悲鳴を上げた。
冗談じゃねえ。
必死で尻をずらし、身を離した。

「・・・・・・嫌か。」

毛布から首だけ出した侍が、こちらを見る。真面目くさった仏頂面に、息を飲んだ。

      なん・・・・・・、
      なんだその赤い顔は。

言葉を失う次元を見つめ、五右ェ門は「すまぬ」とぶっきらぼうに吐き捨てた。

「・・・・・・やはり、あまり気色のよいものではないな。毛布だけよりはましかと思ったのだ。」
「・・・・・・。」

赤い顔のまま、侍は少しだけ唇を歪めた。笑ったつもりらしい。立ち上がろうとして膝を立てた隙間から、冷たい空
気が入ってきた。
触れていた場所が、突然空虚になった。

      だめだ。

「次元・・・・・・?」

侍が驚き、こちらを見下ろす。
腕を、掴んでいた。

      嫌じゃねえ。」

侍の腕を支えに、膝で立った。

     !!」

毛布ごと、侍を抱いた。



     *



      よほど寒いのだ、この男は。

暴れ狂う心臓を落ち着かせようと、五右ェ門は必死で自分に言い聞かせた。        そうでなければ、こんな
     
回された腕が、痛いくらいにきつく五右ェ門を抱き締める。毛布越しに密着する胸が、はっきり分かるくらい震えて
いる。
うなじに手を差し入れ、次元が侍の髪を掻き上げた。髭が頬に押し付けられ、ぞり、と音を立てる。
耳の後ろで、はあ!と息を吐く音が聞こえた。

     !?」

突然、躯を引きはがされる。男が口を開けた。何か言うのかと思った、瞬間、

      っ!」

唇が、次元に飲み込まれていた。

ぬめったものが、歯をこじ開けて入ってくる。頭の芯から全て引きずり出されるくらい、勢いよく吸われた。空っぽ
になった頭の中で、髭が、髭が、と叫び続ける。吸われるだけ吸われてから、ようやく五右ェ門は、男を引き離すと
いう選択肢があることに気付いた。

      は、なせ、次元!」

どん、と突き飛ばし、思わず斬鉄剣に手をかける。

      な、」

構わず次元が襲い掛かってきた。白刃を抜き、五右ェ門は叫ぶ。

「やめろ次元! 一体何を考えておるのだお主は!?」
「うるせえ知るか! 好きなんだよ!」

     !?

愛刀が手から落ち、カランと音を立てた。



     *



「・・・・・・な、にを・・・・・・、」

五右ェ門の顔は蒼白だった。無理もない。言葉も出ない様子の侍に、次元は同情の念すら覚えた。だがもう遅い。

「悪い、五右ェ門。      限界だ。」

膝でにじり寄ると、支えを求めるように、侍が刀を拾い上げた。

「そうだな、いっそばっさりやってくれ。俺はもう我慢できねえ。お前が欲しい。どうにもならねえ。」
「・・・・・・もう一度・・・・・・、」

震える手で侍が刀を構える。

「・・・・・・もう一度、言ってみろ。」

心の底から、次元は笑った。

「好きだぜ、五右ェ門。」
     !」

振り上げた侍の腕の先で、斬鉄剣が角度を変えた。
弧を描いた刀が床にカツ、と突き刺さった瞬間、

「〜〜〜〜〜!?」

侍の唇の中で、次元は悲鳴を上げていた。

甘いとか狂おしいとか、そんないいものでは全くない。髪に手を突っ込みただぐいぐいと、侍は唇を押し付けてくる。
こんな無骨な口付けなのに、大事な芯がとろけて流れて崩れ落ちそうになる。ほとんどすがりつくように、次元は
五右ェ門の背を掻き抱き、それから気づいた。

      ちょっと待て!

引きちぎるようにして身を離すと、2人の間をつ、と液が落ちた。

「・・・・・・なんだ。」

荒い息の下、五右ェ門が問う。

「・・・・・・どういうつもりだ、お前?」
「どういうつもりとは。」
「いや、だから・・・・・・、いいのか?」

ぐ、と侍は言葉に詰まり、唇の雫を拳で拭った。

「・・・・・・言わせるな。」
「だめだ、言ってくれ。」
「・・・・・・!」
「頼む、五右ェ門。」

侍の頬がぼぼぼぼ、と発火する。

      まじかよ。

固唾を飲んで次元は見つめた。
そうなのか? 言うのか? まさかこの侍が      、こんな赤い顔して     
まるで仇を前にしたように燃え盛る目で次元を睨み据え、五右ェ門は怒鳴った。

「お主が好きだ!! 次元!!」
     !」
「・・・・・・言ったぞ。これでよいの・・・・・・!!」


がば、と抱きしめられて侍の言葉が途切れた。

縺れて転げる2人の口からは、もう声も出ない。

吹き荒れる風の音だけが、部屋を埋めた。









→つづく

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