風と共に去りぬ
serial_6









シャワーで温めたはずの体が、まだ寒い。
濡れた頭をガシガシと拭きながら、次元はリビングのドアを開けた。誰もいない。
山頂近くのログハウスだった。どこかの金持ちが作って忘れた酔狂な別荘らしく、見た目は豪勢だが中は妙にう
すら寒い。ミシミシと壁が音を立てるたびに、薄く冷たい空気が流れた。外はまだみぞれ混じりの嵐らしい。

「ちっきしょアンニャロ見てやがれ」と気炎を吐いて、ルパンは部屋に篭っている。次元が相手したボディガードも
相当なものだったが、その雇い主の拙劣さは更に上を行ったようだ。屋敷の使用人連中を人質にして逃げるとは
誰も思わなかったが、それにしてもルパンの悔しがりようは少し過剰だった。おおかた美人のメイドでもいたのだ
ろう。

高い酒がずらりと並ぶマントルピースを眺め、深く考えず馴染みのハーパーを取り出した。グラスに注いで一息に
煽り、ソファに身を放り出す。天井の梁を眺め、ため息をついた。

あの侍にイカれている。それはよく分かった。

空のグラスを額に乗せ、どうするよ、と呻く。
はっきり言って自信がなかった。そばに寄るとコントロールが利かなくなる。信じられないことに、保証できないの
だ。      何かの弾みでどうにかならないと。
侍にしてみれば、ひどい屈辱だろう。
とにかく近寄らない、それしかなかった。
こうしてる場合じゃねえ。

立ち上がるのと同時に、リビングのドアが開いた。
自分のトロさを、次元は呪った。

「・・・・・・一杯、貰えぬか。」

ドアを閉め、侍が言う。
次元のすぐ後にシャワーを浴びたのだろう、先程までの泥にまみれた姿とは打って変わって、さっぱりした身なり
だった。頬も首元も、ほんのり上気している。

そら始まった。
もう抗えない。足が勝手にグラスを取りに行き、手が勝手に注いで侍にぬっと突き出す。

      かたじけない。」

律義に両手でグラスを受け取り、五右ェ門はストンとソファに座った。グラスの匂いを少し嗅いでから、ちびちびと
液体を舐め始める。中途半端な姿勢で向かいに腰掛け、次元はさりげなく侍を見た。

今すぐ逃げ出したい。
しかしもう視線が1mmも動かない。

無造作に揺れる濡れ髪の奥、何か考えるように寄せた眉が美しいと思った。      美しいって何だよ。
不意に五右ェ門が顔を上げた。

      なんだ。」
「いや、」

ドギマギして目を逸らす。馬鹿か、俺は。

「その、・・・・・・やっぱり、日本酒がいいんじゃねえか。」
「別に、構わぬ。」
「・・・・・・そうか。」

沈黙が部屋を押し包む。
ふと、抱きしめた侍の体を思い出した。予想外にごつかった。一瞬、びくんと震えた。

      忘れろ!!

ぎゅっと目を瞑り、言い聞かせる。目の前の男をどうこうするつもりはない。そのはずだと自分に念押しした。
だからお前も忘れてくれ、五右ェ門。
ちらりと盗み見た。

目が合った。

口を開こうとして、侍が逡巡しているのが分かる。

やべえ。

必死で念じた。言うな、頼む。

      昼間・・・・・・、」

思い詰めたような口調だった。



     *



「ああ、驚いたぜ、昼間は。」

ことさら陽気な声に、たった今口に乗せかけた問いは掻き消された。

「化け物にでもなっちまいそうだったな、お前。」
「・・・・・・そうか。」

それ以上言いようがなく、五右ェ門は手の中の洋酒をしぶしぶ飲んだ。グラスの中身は既に半分ほどなくなってい
たが、一体どこへ消えたのか、全く酔える気がしない。

「やっぱり、刀のせいなのか、あれは。」
「・・・・・・そうかもしれん。」

適当に頷いた。本当のことなど言えはしない。
あの時、爆発したガレージに次元がいると思った。その後のことは、正直よく覚えていない。
名を呼ばれ、気がついて、それから     
あれは、都合のよい幻だったのか?
この肩が、首が、耳が、こんなにもはっきりと、あの熱を覚えているというのに?
手の中の酒を置き、顔を上げた。

      じ、」
「おい、雪だ。」
      。」

促され顔を向けると、白いものが目に映った。次元が立ち上がり、暗い窓の方へ歩いて行く。
吸い寄せられるように、後を追った。
出窓に身を乗り出し、次元はガラスを素手で拭いている。窓枠にもたれて、その所作を見守った。



     *



      失敗した。
侍から逃れる恰好の口実だと思ったのに、雪は結局、互いの距離を縮めただけだった。すぐ隣に立つ侍が、腕組
みしたまま体を捻り、窓の外へ目を向けている。
粉雪だった。木立の黒が、舞い散る白に掻き乱されてゆく。湿った木の匂いがした。

      積もるな。」
「・・・・・・ああ。」

上の空で答えた。


触りてえ。


嫌も応もなかった。目の端に映る腰を抱き寄せたくて堪らない。気を抜いたが最後、体が勝手に動き出しそうだっ
た。ちくしょう、と毒づく。
今まで、こんなに何かを我慢したことなんて、俺の人生にあったか?
いいか、指一本動かすんじゃねえ。ありったけの理性を総動員して、次元は念じ続けた。

雪はすべての音を吸い取った。息さえ止まったような、静寂が     

「行くなと言ったな、お主。」
「!!」

突然、破れた。
言葉の意味をやっと飲み込んだ時には、侍の双眼に捕らえられていた。

      次元、」
「・・・・・・。」

射すくめるような眼差しには、強靭な意志と、何者をも寄せ付けぬ孤高の光があった。それなのに、まるで救いが
そこにあるような気分になるのはなぜだろう。
ふと、侍に斬られる者のことを思った。最期の瞬間、この目に見据えられるのなら、やはりこんな風に何もかも開
け放してしまいたくなるのだろうか。

乾いた唇が、開いていた。

      ご、」

その時。

「次元、五右ェ門!」

心臓が一刻、確実に止まった。
ルパンが勢いよく入ってくる。

「ちょ〜っと出かけてくっからよ! 留守番頼むわ。」
「・・・・・・どこへ行くのだ。」

先に硬直が解けたのは侍の方だった。2人の様子に気づいた風もなく、ルパンは高らかにぶち上げる。

「リベンジよリベンジ! 今日のところはちょちょいと細工をな。準備ができたら3人でパーッとお礼に行くぜ。」
「しかし、外は雪が・・・・・・、」
「だ〜いじょぶだいじょぶ、このっくらいの雪、オレ様にかかりゃチョロいもんよ。じゃあな〜!」

出て行く瞬間、次元は確かに見た。ルパンがこちらを向いて片目を瞑るのを。

「待て、ルパン!」

五右ェ門が後を追いかけ、消える。表のドアが開いたのだろう、冷たい空気が足元に流れ込んできた。

「・・・・・・あの野郎。」

立っていられなくなり、ズルズルと座り込む。
戻って来たら殺す。

エンジンの派手な音が聞こえた。









→つづく

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