桜の園
serial_2
くああ、と欠伸を1つ漏らし、次元はやかんを火から下ろした。
もう正午だというのに、胃はまったく動かない。挽いたコーヒー豆の袋を傾けていいかげんにフィルターへ移し、
どぼどぼと熱湯を注いだ。ルパンが見たら、最初は蒸らせと か何とか言うだろう。今は流し込めさえすればどう
でもよかった。
別に寝起きのいい方でもないが、今日はいつにも増して体がだるい。妙にモヤモヤするのは昨夜のあの顛末
のせいだろうと、大騒動をぼんやり思い出した。
立ちのぼる香りと湯気を胸に入れると、少しは人間らしい気分になる。片手にカップを携え、リビングに入った。
「 俺のは?」
パソコンから目を離さず、挨拶も抜きでルパンが言う。
「キッチンに行きゃあるぜ。」
「ケチ。」
ま〜だ根に持ってんのかよ、というボヤきを聞き流しソファに座ろうとして、ふと窓の外に目をとめた。
「・・・・・・・・・・・・。」
コーヒーを啜りながら窓の方へ向かう。
うららかな陽差しの下、満開の桜を背に、侍は片手で木刀を振るっていた。
こうしか生きられぬ、という昨夜の言葉が不意に浮かぶ。
「・・・・・・よくやるな、右腕だけで。」
「鍛え直しだってよ。拙者、まだまだ修業が足りぬ、な〜んつってな。」
プリンタの電源を入れながら、ルパンが声色を真似る。
窓枠に背を預け、「なあ、ルパン」と声をかけた。
「んあー?」
「お前は、なんであいつを仲間にしたんだ?」
プリンタが動き始める。ルパンはのんびり煙草に火をつけた。ふー、と長い煙を吐く。
「それぁやっぱ惚れたからでしょ。」
「・・・・・・・・・・・・。」
二の句が継げず、ああそうかい、と答えた。ルパンが薄く笑う。
「・・・・・・あとはそうだな、もちっとだけ、増やしておきたかったんだ。」
「仲間を?」
「大事なものを。」
「・・・・・・フン。」
コーヒーを飲み干し、キッチンに入った。
湯気の立つそれを持って戻り、物も言わず目の前にとん、と置いてやる。
「愛してるよ、次元ちゃん。」
「くたばっちまえ。」
ルパンの笑い声を背に、部屋を出た。
*
地上に顔を出したモグラの気分だ。
光の洪水に目をしょぼしょぼさせながら、次元は裏庭へ足を踏み出した。
春の陽を受けた昼間の桜は自信に満ち溢れ、その老齢を欠片ほども窺わせない。
この世の美しいもの、正しいものを全き形に現して、なお余りある力強さで雄々しく立つその姿は、次元をいつも
ああそうですかという気分にさせる。
古木の根本に侍はいた。胡座をかき愛刀の柄に手をかけたまま、目を閉じている。近づくとすぐに目を開いた。
「・・・・・・ずいぶん気に入りなのだな、ここが。拙者邪魔なら他所へ行くが。」
「別に気に入りじゃねえよ。」
正直に答えた。
「お前さんの方だろ。修業も昼寝もここってのは、よほど居心地がいいんだな。」
「昼寝ではない。」
少しムッとした様子で、侍は顔を上げた。すぐに目を伏せ、「これも修業だ」と呟く。
「いや寝てただろ。」
「はた目にはそう見えよう。気を充実させている。抜くためにな。」
「抜く? 刀をか。」
「そうだ。」
「・・・・・・分かんねえな。」
しゃがみ込み、斬鉄剣を眺めた。
「抜くのに気が要るのか、これ。」
「生半可な気構えでは抜けぬ。」
「・・・・・・・・・・・・。」
半信半疑の眼差しを読み取ったらしい。侍は刀を突き出した。
「抜いてみろ。」
「おお、よーし。」
立ち上がり、見よう見真似で左腰に刀を構えた。親指で柄をくい、と押す。
途端に、体が動かなくなった。
「・・・・・・・・・・・・!?」
急に重くなった刀から、何かが溢れ出しているのが分かる。汗ばむくらいの陽気だというのに、冷ややかなも
のが血液中を駆け巡った。ひどい動悸が次元を襲う。
震え出しそうになる体を抑え込むようにして、数センチ抜いた刀をようやく元に戻した。
「・・・・・・マジかよ。」
「分かったか。」
侍が刀を引き取る。
「こんな物騒なもん持ち歩いてやがったのか、お前。」
「物騒はお互い様であろう。」
至極真面目な顔で、五右ェ門は愛刀をす、と撫でた。
「バカ言え、俺のマグナムの方がよっぽど節度があらあ。」
「・・・・・・節度?」
侍が片眉を上げる。背からマグナムを引き抜き、弾を抜いた。「ほらよ」と差し出す。
「・・・・・・・・・・・・。」
両手を出し、五右ェ門はそれをそっと受け取った。特にいじるでもなく捧げ持ち、息を詰めて凝視している。汗が
2筋、頬を伝った。大きく息を吐いた。
「・・・・・・何が節度だ。ひどい荒くれではないか。」
「そこがいいんじゃねえか。かわいがれば懐くしよ。どうだ、なんとなく賢そうだろ。」
「ふっ、」
次の瞬間、次元はほとんど目を疑った。
「 全然分からん。」
無防備な。
あまりにも無防備な笑顔だった。
不意を突かれて次元が黙ると、侍もすぐに笑みをかき消した。ぐいと銃を突き返し柄に手をかけると、瞑目しても
う何も言わない。
「・・・・・・邪魔したな。」
言い捨て、その場を後にした。
背中が妙にムズムズする。
探っても探っても核心に行き当たらず、次元はバリバリと背を掻き続けた。
「次元ちゃーん、ちょ〜っと手伝ってくんねっかな〜♪」
自室に戻ろうとした次元を、相棒の声が捕まえる。
リビングは、プリンタから吐き出された紙で埋め尽くされていた。
「読んどいてちょーだい。あと、いるとこあったらファイルしといて。俺もう読んじゃったから。」
「へーへー。」
床に散らばった紙を拾い集める。ルパンは相変わらずパソコンに向かい、今度は何やら図面をいじっているら
しかった。
「五右ェ門、いいだろ。」
「ああ?」
突然の言葉に、思わず振り返る。
「俺の目に狂いはなかったろ?」
あちきしょ、こっち行き止まりでやんの、とこぼしながら作業を進める男を、しばらく眺めた。ルパンが「ん?」と
促す。
「・・・・・・そうだな、もちっと協調性があってもいいんじゃねえか、ありゃあ。」
窓の方まで散っている紙を拾いに行く。「あらそうお?」とルパンが応じた。
「ず〜いぶん心開いてるんじゃない? あいつにしちゃ。」
「・・・・・・・・・・・・。」
黙って見やった桜の下に、もう侍の姿はない。やはり邪魔をしたらしかった。
「ありがてえこった。」
向き直り言ってやると、「だ〜っはっはっは!」とルパンは笑い始めた。間抜けなサル面を眺めながら、次元は
別のことを考える。
こいつが笑っても全然ムズムズしねえな。
背を暖める春の陽が、煩わしかった。
→つづく
→BACK