暗夜行路
serial_1
月が急に隠れる夜は、昔からロクなことがない。
纏わりつく濃い闇を深く吸い込み、次元は空の黒を仰いだ。
「・・・・・・遅いな。」
予定の時刻を過ぎても合図がない。
暗い森は不自然なほど静まり返り、生き物の気配をみなかき消してしまったかのようだった。もう一度時計を見や
る。
この闇に潜むもう1人の男も、同じことを考えている筈だった。
あと10秒だけ待つ。
銃を抜き、秒読みを始めた。
・・・・・・3・・・・・・2・・・・・・1・・・・・・、
0、で踏み出した瞬間、前方に白い影が飛び出すのが見えた。
分かってるじゃねえか。
唇の端だけで、次元は笑った。
闇の中に翻る白は現実離れした鮮やかさで、まるで美しいもののように次元の目に映る。あいつ黒い着物持って
ねえのか、チラリとそんなことを考えた。
白い侍は次元に目もくれず、屋敷へ向かって駆けてゆく。脱出してくる筈のルパンの姿は、やはり見えないままだ
った。すらり、抜かれた白刃が閃く。
後ろから援護しろ、か。
わざと侍から距離を取り、次元も走った。木立の奥、光るものを捉えると指が勝手に動く。派手な銃声と同時に、
迷彩服の男が崩れ落ちるのが見えた。
屋敷の少し手前で、ズザザ、と音を立て五右ェ門が急停止する。
わらわらと現れた黒ずくめの男達が、侍をとり囲んだ。
木陰に隠れ、次元は素早く周辺を見渡す。自分なら、どこから侍を狙うか。
不自然にしなる枝の上、茂みの奥、屋敷を囲む鉄柵の陰。
直感が囁く方向へ引き金を引くたびに、悲鳴が上がった。ほとんど無心で、次元は硝煙の匂いをただ追い続ける。
耳の端で、刃の音が上がった。
目をやると、黒ずくめ達が糸を抜かれたようにバラバラと倒れてゆく。中から立ち上がった侍が刀を鞘に納めた途
端、静寂が再び森を包んだ。
「・・・・・・終わったか。」
「一応は。」
愛刀に手をかけたまま、五右ェ門はまだ辺りに目を配っている。
「一体どうしたんだ、ルパンの奴ぁ。」
「分からん。屋敷に入ってみるしかなかろう。」
「やれやれ、面倒かけやがって。」
煙草を探して胸ポケットを探った時だった。
五右ェ門の遥か後方。
目をやるより早く、次元の感覚がそれを捉えた。マグナムを背から抜き地を蹴った瞬間、侍の目がギラリと光り、
次元の狙う方向と逆に向かって飛び出すのが見えた。
銃声が2発、森に響いた。
屋敷の尖塔から黒い影が転がり落ちる。マグナムを構えたまま、次元は即座に振り返った。自分は1発しか撃っ
ていない。あと1発は。
振り向いた次元の視線の先で、黒ずくめの男が1人、銃をガチャリと取り落とした。崩れ落ちるその男の傍らに、
五右ェ門が立っている。左腕が真っ赤だ。
「・・・・・・しくじった。修行が足らんな。」
侍は笑ったらしい。暗くてよく分からない。
「 大丈夫か。」
「かすっただけだ。心配いらん。」
「そうか。」
袖の端を引き裂き一方を咥えて、侍は腕にぐるぐると布を巻き付ける。慣れた手つきを眺めながら、次元は忙しく
考えを巡らせた。出血が多い。五右ェ門は援護に回して、自分が突入するか。
「おい、五 、」
派手な足音が次元の言葉をかき消した。20、いや、30人はいる。完全に取り囲まれて次元は舌打ちした。
「ちっ、よっぽど金が余ってやがんだな。でくのぼうばっかりゾロゾロ集めやがって。」
「へらず口を叩いている場合ではなかろう。」
静かに言い、侍が斬鉄剣を抜き放つ。額に光る汗の量が尋常でないのを見て、次元はもう一度小さく舌打ちした。
やせ我慢しやがる。
「行くぞ、五右ェ門。運があったらまた会おうぜ。」
「 ふん。」
男達が一斉に武器を構えた。
その時。
ドオン、という轟音と共に、屋敷の壁が一斉にひび割れた。2人が飛びすさった跡に、凄まじい音を立てて瓦礫が
落ちてくる。
崩れ落ちた屋敷の奥、舞い上がる埃の中から、
「待〜たせたな、次元、五右ェ門!」
陽気な声が聞こえ、次いで巨大なトレーラーが現れた。群がる敵を蹴散らして急停車したかと思うと、助手席のド
アがバクンと開く。
「遅えぞルパン! 一体何してやがったんだ!」
「まあまあ、後でゆ〜っくり説明して差しあげっからさぁ、早く乗んないととっつぁんが来ちまうぜ!」
「ちっ、」
ひらりと飛び乗った五右ェ門を押し込むようにして乗り込んだ。ドアを閉めた途端、トレーラーが発進する。凄まじい
振動に舌を噛まないよう、今は口をつぐむしかなかった。
*
「・・・・・・まったく、呆れ返って物も言えねえぜ!」
リビングのドアを勢いよく閉め、次元はソファに身を投げ出した。
「あ〜んまり怒るとハゲっちまうぜ次元ちゃん♪ ほら、これなんかたいしたもんよぉ?」
背負っていたリュックから、ひょい、ひょい、と戦利品を取り出してルパンが言う。パスされた古伊万里を放り出し、
次元はがなり立てた。
「何がたいしたもんだ! 俺達の目的はこんなチンケなお宝だったってのか? え?」
「まそりゃ、ちっとばかし計画は狂っちまったけっどもな。」
「ちっとが聞いて呆れらあ!」
叫んだ勢いで、次元はソファに跳ね起きた。
「いつまでたっても出てこねえと思ったら、案の定またあの女だ!」
「だ〜ってよ、とっ捕まってる不二子ちゃん置いて逃げる訳にも行かないでしょが。」
「じゃあ聞くけどな、助けてやった不二子は今どこにいる? 俺達のお宝はどこへ消えちまったんだ?」
「次元よぉ、」
急に声を落とし、ルパンは相棒の肩をぽんと叩いた。
「お前にゃな、足りないもんがある。」
「なんだ。」
「潤いだ。」
「・・・・・・・・・・・・。」
次元のこめかみに浮き立つ青筋にはお構いなしで、ルパンはぺらぺらと喋り続ける。
「どんなにすごいお宝手に入れたってな、愛する者の心が手に入らねえんじゃしょうがあんめえ? お前もそうい
う心の機微っつうかな、情緒ってもんを解する心をちょおっと待て次元!」
危機の察知にかけては、さすが世界一のセンサーの持ち主だ。次元が背中からマグナムを抜く前に、ルパンは
飛びすさった。
「わわわわ〜るかったよ! ま落ち着け次元、な?」
「落ち着いてるぜ俺は。お前の方こそおとなしくしてな。その色ボケ頭を今すぐ醒まさせてやる。」
「いやそりゃバッチリ醒めるかもしれねえけどな、風穴だらけになっちまったんじゃちょ〜っとモテねえかな・・・・・・
って待て待て待て次元ちゃん! 待てって!」
ガゥン! ガゥン!
銃声が派手に鳴り響く。
人間技とも思えぬ身のこなしでルパンが逃げ回る中、リビングのドアが不意に開いた。これ幸いとルパンが飛ん
で行く。
「い〜いとこ来た五右ェ門! あの単細胞にちょっと言ってや・・・・・・、」
「どけ五右ェ門! そのバカはいっぺん死なねぇと・・・・・・、」
2人の声が、同時についえた。
端のちぎれた片袖をどす黒く変色させた五右ェ門は、急に押し黙った2人を意に介するでもなく、スタスタと戸棚の
方へ歩いてゆく。
「・・・・・・五右ェ門、大丈夫か?」
「何がだ?」
扉を開きながらこちらを向いた侍は、本当に何のことだか分からないようだった。薬箱を片手で引っ張り出す。
「いや、その腕だよ。」
「・・・・・・ああ。」
なんだ、という表情で腕を眺め、「たいしたことはない」と侍は言った。
「銃か?」
「うむ。次元の真後ろにいたので、反応が遅れた。拙者の不手際だ。」
「礼言っとけ、次元。」
「何だと?」
睨まれたルパンは五右ェ門の後ろへ慌てて飛び込み、ひょいと顔だけ出す。
「だってよ、五右ェ門がやらなきゃお前もやられてたんだろ?」
「・・・・・・俺が礼を言う前に、死んで詫びなきゃいけねえ野郎がいるだろうが・・・・・・!」
「いやお前、何もそこまでやれなんて俺ァ言ってねえよ。」
「俺じゃねえ、お前だ!」
轟音と共に、顔を出したルパンのもみあげが2、3本、空に舞った。
「五右ェ門どけ! なんならお前が斬っていいぞ!」
「わ〜わわわ、助けて助けて五右ェ門ちゃん!」
銃弾の飛び交う中、黙々と侍は傷を拭き、真っさらの包帯を巻いた。6発目の銃声の後、パタンと薬箱を閉じる。
「いらん。」
「何?」
きょとんと2人が見つめる中、侍は右肩に引っ掛かる上衣をぐいと脱いだ。
「礼も詫びもいらぬ。 拙者の命は、とうにお主らに預けてある。拙者もお主らを命かけて守る。それだけだ。」
「・・・・・・・・・・・・。」
部屋を出ていく侍に毒気を抜かれた体で、2人は部屋に立ち尽くす。「かあっこいい〜」とルパンが呟いた。
「・・・・・・フン。」
ソファに身を投げ、次元が吐き捨てる。
「つまんねえ野郎だ。」
「分かってないねえ、そこがいいんじゃないの。」
次元ちゃんライター貸して、の声にポイと投げてやり、次元は帽子を顎まで引き下げた。
俺にゃ分からんね。
*
ルパンのアジト選びには常日頃から疑義を呈してきたが、ここを選んだ理由だけは珍しく次元にも理解できた。ど
ころか、悪くないとまで思う。
気まぐれな月はもう機嫌を直したらしく、煌々と桜の大木を照らしている。
咲き乱れる花に埋もれるように、太い枝に跨がり、幹にもたれてスコッチを舐めた。
立派に見えるが、随分な古木である。来年はもう咲かないかもな、と思い、去年もそう考えたことを思い出した。
ぬるい夜風に花が揺れる。目を閉じていても花が見える。
さっきの侍の台詞が、ふいに甦った。
命かけて、か。
ロボットのような男だと思うことがある。
こいつには感情というものがあるのか、という初対面時の疑問は、行動を共にするうちにあっさりと解消された。
案外感情の起伏は激しく、子供のようなところすらある。それでもなお、今日のようなことがあると、ロボットのよう
だという感慨を改めて抱かざるを得なかった。
命を預けると決めたから、預ける。
当たり前のように、それを口にする。
自らの選択に殉じるという決意がそうさせるのだろう、そこには、感情を挟む余地のない、強い制御が感じられた。
俺にゃ死んでも言えねえな。
言い当てられたような気まずさを、たとえ感じたとしてもだ。
さらりと口にできる侍は、次元にしてみればやはりロボットと大差なかった。
少しまどろんだらしい。
カタン、という音に目を覚ました。見下ろすと、縁側に出て来た人物が何やら広げている。声をかけず見守ることに
決め、次元はスコッチをひと煽りした。
大事に大事に鞘から取り出した愛刀を、月にかざして五右ェ門は見つめている。
おもむろに懐紙を取り出し、刀身にあてて、先へ向かってゆっくりと拭った。打ち粉をはたき、紙で拭っては月にかざ
すことを繰り返す。決められた手順を丹念になぞる侍に表情はなく、やっぱりロボットじゃねえか、と次元は思った。
何度も取り替える拭い紙が、侍の横に重なっていく。
最後に油を塗り、もう一度拭うと、侍は刀を鞘に丁寧に納めた。
全てを済ませた後、脇に積まれた紙束をひとまとめにして膝に置き、両手を添えてそのまま瞑目する。
それは今日斬った者達の血であり、脂であった。
次元は黙って五右ェ門を見つめた。そこにやはり表情はなかった。
突風が吹いて、枝がしなった。
「・・・・・・いつまでそうしているつもりだ。」
目を閉じたまま、侍が口を開く。
「・・・・・・邪魔して悪かったな。」
「別に、邪魔ではない。」
とん、と地面に降り立ち近づくと、侍はようやく目を開けた。
「毎日やってんのか、それ。」
「そうだ。」
「ふーん。」
隣に腰かける次元を侍はちらりと見やったが、特に文句は出なかった。
「お前さんよお。」
「・・・・・・なんだ。」
広げた道具を片付けながら、侍が答える。
「息が詰まらねえか、そういうの。」
「・・・・・・・・・・・・。」
手を止め、侍は次元を見た。
顔にかかる影が微妙に形を変え、頬が微かに歪んだのが分かった。
何かの感情が、そこにはあった。
「・・・・・・こうしか、生きられんのだ。」
それだけ言って、侍は桜を見上げる。いつもの無表情に戻った横顔を、月が照らした。
「・・・・・・ふーん。」
言うべき言葉が見当たらず、次元も古木を見上げた。
咲き誇る薄紅の花の姿は、いまこの瞬間が一番美しいと思うのに、なぜか頭に入ってこない。
生ぬるい空気と月の光が、次元を妙に居心地悪くさせた。
「きれいだな」と侍が言った。
→つづく
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