A Midsummer Night's Dream
【「A Midsummer Morning's Dream」を未読の方は、先にそちらをお読みください。】
修業で来るのとは、随分違うものだ。
夏の入道雲を見上げながら、五右ェ門は額に手をかざした。
この季節、日本の山に篭ることはしばしばあったが、こうして四人でというのは初めてのことだ。日差しの眩しさも、時折吹
く風の清々しさも、一人でいる時にはこれほど心を弾ませなかったと思う。
「ごえもーん! こっち!」
水着姿の不二子が、川辺へと手招きした。テント設営や炊事はルパンと次元に任せて一緒に遊べ、ということか。あるい
は、何となく浮き立っている心を見透かされたのかもしれなかった。誘われるままに川へ向かい、不二子が指さす方へ目
をやる。
「・・・・・・あの辺り・・・・・・、」
「ね?」
黙って着物を脱ぎ、岸へ放り投げた。「見ててもいい?」と問う不二子に頷いてみせ、涼しい岩陰へ静かに歩いてゆく。陽
の差さぬ冷たい水の淵に、やはり魚の群れがいた。きらめく水しぶきと共に、女の歓声が上がる。
「すごい! ね、五右ェ門、もう一回!」
「うむ。」
川の流れに裸足を浸し、どこか子供のようなまなざしで不二子は侍を見つめている。ああ、この女もはしゃいでいるのだと
思った。
女というのはつくづく不思議な生きものだ。
五右ェ門と二人でいるとき、不二子は少なからずくつろいで見える。まるで家族といるような打ち解けた表情を見せる彼女
が、ルパンの前ではガラリとオーラを変えることに、いつも五右ェ門は少し驚くのだ。今もそうだった。魚をルパンに見せ、
水浴びに行けばとか何とかやり合っている女の背筋には、ピンと一本芯が通っている。不二子とルパンの間だけに漂うこ
の緊張感を何と呼ぶのか、五右ェ門には分からなかった。
「おーい、じげーん!」
ルパンの声に、はっと顔を上げた。
「なんだ。」
炊事場に座り込んだ男が、背中で答える。声が頑ななのはルパンに無理やり連れて来られたためで、決して自分のせい
ではなかった。にも関わらず、先刻までの浮かれた気分がぎゅっと縮こまる気がして、五右ェ門は知らず懐へ手を遣る。
川辺へと走り去る男と女を見送り、魚を抱えて炊事場へ足を踏み出した。一人でやって来る五右ェ門をちらと見て、次元
が微妙な視線を地面へ落とす。男と五右ェ門の間にも緊張感はあった。こちらは原因がはっきりしている。
「――― これだ。火は空いているか?」
気づかぬふりで殊更に明るい声を出す自分を、つくづく五右ェ門は滑稽だと思った。
この男に接吻されたのは、ひと月前だ。
言い訳にもならないが、随分と酒の入った夜だった。
スナイパー役として長らく一人でアジトに詰めていた次元の鬱屈は、成功を告げる侍の来訪で一気に晴れたらしい。その
まま酒盛りの場と化した小屋の中で、何かがおかしいとどちらかが早く気づくべきだった。
「――― いやしかし手強い金庫だったな。」
「さしものお主も、あの距離の射撃は厳しかったのではないか。」
「馬鹿言え、俺にかかりゃあのくらい軽いさ。」
「ルパンから作戦を授けられた時は、大分引き締まった顔をしておったぞ。」
「いつだってキリッとしてるだろ、俺は。」
「よく言う。」
他愛もない会話だ。多分、どちらかが背中を叩いた。小突いたり軽く蹴ったり、じゃれ合うように触れる時というのが男には
たまにある。何度も繰り返してしまったのは、単純に酒と高揚のせいだと思う。ヘッドロックというのだったか、次元が五右
ェ門の首に腕を回した時だ。全身に、電流が走った。
「―――、」
酔ってくらくらする頭では、何が起こったのか分からなかった。いや、おそらく実際何も起こらなかった。
「・・・・・・こら、よせ、次元。」
「・・・・・・ああ。」
少し密着し過ぎた体を男が離し、それでしまいだった。
いつ寝入ったかは覚えていない。次に目覚めた瞬間まで記憶は飛んでいる。
バタバタと駆け去るような足音に目を覚ますと、五右ェ門は暗い部屋に一人だった。
唇に、感触が残っていた。
煙草の匂いがした。
「・・・・・・焦げてねえか、それ。」
「――― ああ、」
慌てて魚を裏返した。少し焦げるくらいがちょうどいいのだと言ってやりたかったが、いま男の背に軽口を叩く気にはなれ
ない。
あれは、次元だったと思う。
どういうつもりであんなことをしたのかは、さっぱり分からなかった。寝ぼけて誰かと間違えたか、突然催して誰でも良くな
ったか。いずれにしても、次元のことは次元にしか分からぬ。問題は、五右ェ門自身だった。――― あのとき。
ああ、次元が接吻したのだなと思った。
それから、衝撃がやってきた。
無理もない話だ。よく知る仲間の暴挙に仰天するのは普通のことだ。だから、仲間に対する「普通の」作法としては、酔っ
払いの狼藉にひとしきり呆れた後、馬鹿なことをしたものだと笑って忘れてやるのが妥当な線だった。
――― すまぬ、次元。
鍋を掻き回す男の背に、そっと詫びる。ひと月の間どんなにがんばってみても、あの夜の出来事は頭から消えなかった。
実際にされた瞬間は覚えていない。だから思い出すのは直後の衝撃だけだ。次元が自分に接吻したと知った刹那の、あ
の―――、
じわりと湧き上がる何かを、慌てて五右ェ門は飲みくだした。ちょうど吹いてきた川上からの風を思い切り吸い込み、吐き
出して、全部なかったことにする。
「――― 久しぶりだ、こういうのは。」
朗らかな、大きな声を出した。
「そうかい。俺は初めてだ。」
背中を向けたまま、男がボヤく。
笑いながら侍は、心の中でもう一度詫びた。
*
轟くような山の音が、今は耳に心地よい。
灯かりを消したテントの中で、五右ェ門は一つ寝返りを打った。煙草を吸って来ると言ったきり、次元はなかなか帰って来
ない。
――― やはり、そうか。
昼間、ルパンを引き止めた声の音色に、もしかしたらとは思っていた。――― あの男。二人きりになりたくないらしい。
なぜ次元が、と半ば憤慨して五右ェ門は思う。一方的に無体を働かれて、びっくりしたのは自分の方だ。気まずいのか何
だか知らぬが、今さら避けるくらいならもっと早く、「悪かったな」と一言詫びるとか何とかやりようがあったろう。そうすれば
拙者も―――、
――― いや。
もう一度体を返し、五右ェ門は闇にうつ伏せた。
――― 自分こそが、それをすべきだったのではないか。
次元からは言い出せまい。なにしろ五右ェ門は寝ていたと思っているのだ。あの翌日、「昨夜はやってくれたな」と侍が笑
って言えば、「何だ、起きてたのか」と男も笑い、悪ふざけを詫びただろう。今からでも遅くはない。こじれてしまったこの関
係が、それで元に戻るのなら―――、
起こしかけた半身を、はっと五右ェ門は再び伏せた。砂利を踏む靴音がこちらに近づいてくる。ちょうどよい、寝たふりをし
て驚かせ、その勢いで言ってしまおう。
入口のファスナーの開く音がして、夜の空気が、微かな煙草の匂いと共に流れてきた。男ががさがさと入ってくる。五右ェ
門の脇を通り、そこで少し足を止めた。今だ。「次元」と一言、声を出すだけだ。
できなかった。
男はため息を一つついて、反対側の壁へと歩いてゆく。すぐに横になったらしい。空気が急に重くなった気がして、五右ェ
門はそっと息を吐いた。
――― なぜ言えぬ。
歯噛みする思いで、自らに問う。簡単なことではないか。
何だ、起きてたのか五右ェ門。うむ、拙者寝たふりはうまいぞ、実はあの夜も起きていたのだ。何だと?
次元は一瞬面食らい、それからきっと笑うだろう。
――― 笑わなかったら?
闇にかっと目を開き、天井を見つめた。寝息だけは忠実に再現しながら、今まで考えもしなかったことを考える。次元がも
しも笑わなかったら。あの接吻に、自分の知らない意味があったとしたら―――、
がさ、という音に、全神経が逆立った。男が起き上がり、こちらにそろそろと這ってくる。
――― まさか。
浮かんだ考えを瞬時に打ち消し、起きろと必死で自身に命じた。男が何をもくろんでいるのかは分からぬが、五右ェ門が
身じろぎ一つでもすれば、きっとこちらに来るのをやめる。分かっているのに動けなかった。知りたいのだ。次元の真意を。
あの夜の意味を―――。
うまく寝息を立てられているか、もう分からない。心臓の音が鳴り響いて、男との距離も掴めない。
煙草の匂いが強くなった。
唇に息が触れた。
男が駆け出して行った入口から、湿った夜風が流れ込む。身を起こし、五右ェ門は唇に手をやった。半ば呆然としたまま、
そうか、と独りごちる。自分を苛んでいたものが何か、やっと分かった。
何度も何度も思い出さずにいられなかった。あの夜の空白に向かって虚しく手を伸ばし続けたのは、意味が知りたいから
だと思っていた。よもやこんな単純な理由だったとは―――。
自分は、ただ感じたかった。
もう一度触れたかったのだ、次元に。
帆布をはためかせる風が、土の匂いを運んでくる。深く吸い込み、それから意志を持って、五右ェ門は立ち上がった。
テントを出た途端、目が眩んだ。
「・・・・・・!?」
眩暈にも似た感覚に、何事が起きたのかとしばし立ち尽くす。すぐに気がついた。
何だ、この空は―――!
星空なら今までさんざん見てきたが、これを一体何と呼ぶのか分からない。光の数とあまりの密度に、祭の夜店の、あの
ゴムボールで埋め尽くされた水桶を思い出す。星のごった煮、星の折詰、いや・・・・・・、
言い表す言葉を探しながら、視界の開ける方へ方へと歩いた。
突然、足が止まる。
草の匂いに紛れ、一瞬であったがそれは確かに鼻を掠めた。嗅ぎ慣れた煙草の匂い。この勾配の向こうに、男がいる。
一つ息を吐いて、傾斜に足を踏み出した。登り切る少し手前から、草むらに寝転ぶ黒い影が見え始める。胸が詰まった。
両手を頭の下で組んだいつもの格好で、次元は星を眺めている。帽子に隠れて表情は見えなかった。もう足が止まらな
い。すぐそばまで一気に歩み寄り、声を掛けた。
「――― すごいな。」
「!!」
男が仰天したのが分かる。もちろんその理由も。心の中で詫びながら、平静を装い隣に腰を下ろした。テントを駆け出た
時は何か目的があった気がするのに、もう何をしにきたのか分からない。ただ、会いたかった。想いを込めて、空を見上
げた。
「こんな星空は初めてだ。」
「そうか。」
引き攣ったような声で、次元が笑う。これほど明らかに狼狽されると、逆にこちらの腹は据わってくる。男が、思ってもいな
いことを口にした。
「起こしてやればよかったな。」
「起こしたではないか。」
即座に返していた。
「!」
凍りつく次元を、ゆっくりと見下ろす。何と言う顔だ。すまぬ。拙者は、踏み越えてしまったのだな。
「――― 次元、」
「悪かった。」
男が起き上がり、被せて言う。
「ちょっとふざけただけだ。」
違う。
「二度としねえ。忘れて―――、」
「二度目だ。」
「―――!」
心の中は存外に静かだった。物凄い顔をしている男をじっと見つめ、ここに来た目的をやっと思い出す。知りたいのだ、次
元。お主と拙者の間にあるものを。いま確かに抱えている、この感情の正体を。
「今日で二度目だ。そうであろう。」
「・・・・・・。」
男の顔が泣くような形に歪む。鳩尾から何かがせり上がってきて、思わず膝でにじり寄った。
「――― 次元、」
「もう、しねえ。」
カサカサの声が、風に掻き消えた。
少し遅れて言葉の意味が、頭に届く。心が凪いだ。もう、そよとも動かない。
「――― そうか。」
そうか、ともう一度胸の内で呟いた。
特別なものは、何もないか。
そうかもしれないと思った。
ブチ、と音がして、次元が立ち上がる。男の指の隙間から草が舞い、知らず五右ェ門はそちらへ目をやった。その瞬間―
――、
あの煙草の匂いが、鼻を掠めた。
――― まただ。
嗅ぎつけた途端、胸の奥がぐうっと膨らむ。息がうまくできなくなって、思わず男を見上げた。帽子の下の目がこちらを見
つめている。教えてくれ。本当に、本当に何もないのなら、これは一体何なのだ。
――― 次元。
男の名を呼んだ。
急に星が、見えなくなった。
*
突然覆いかぶさられても、不思議と驚きはしなかった。よいだろう、いざ。ここまで来たら確かめた方が早い。腹に力を入
れ目をしかと開けて、接吻を返した。今まで押しつけられる一方だった男の唇は、こちらから咥えてみると意外に柔らかい。
一心に食んでいると、不意に男の動きが止まった。
「・・・・・・どういうつもりだ、お前。」
混乱をありありと顔に浮かべ、次元が問う。だから確かめているのだと言おうとして、言葉が喉元でつかえた。確かめてみ
て、既に分かったことが一つある。
お主の唇は、気持ちがいい。
それを言うのはためらわれた。
「・・・・・・分からぬ。」
答えた途端に、男が抱き締めてくる。お主はどうだ、と心の中で尋ねた。こうしていて、どんな気持ちだ。拙者も同じように、
お主の体を抱き締めてもいいのか―――?
不意に耳の後ろへ鼻を突っ込まれ、抱擁を迷っていた侍の手は男の肩で止まった。鼻を埋めたまま、男が息を深く吸い
込んだかと思うと、
―――!?
侍の袷を暴いた手が、胸元を乱暴にまさぐる。しばらく右往左往したのち、男の指は思いもよらぬ場所をつまんだ。
――― そ・・・・・・!?
反射的にシャツを掴み、男を押し返す。腹を括ったはずだった。確かめると決めたからには、お互い思うところを全て試す
べきだとも思う。だが、そこ・・・・・・、そこは・・・・・・!
恐ろしいほどの無表情で、次元は五右ェ門の乳首をくすぐったり引っ張ったりしている。奥の方がムズムズし始めた。訳
もなく焦った。次元ばかりにさせていてはならぬ。男が少し腰を浮かせた瞬間、体を跳ね上げた。
「・・・・・・!」
組み敷いた男の驚く顔が、昼と変わらぬ明るさのおかげでよく見える。とりあえず目についた耳に噛みついた。その途端、
言いがたい浮遊感に包まれる。
―――!?
耳から歯を離し、呼ばれる方へと鼻を寄せた。髪の生え際、もう少し下―――、これだ。この匂いだ。
煙草ではなかった。今まで何度も自分を乱したものの正体を初めて知り、五右ェ門はそれを思い切り吸い込んだ。体中
の血がざわめき立つ。衝動に任せて口を開いた。噛みつこうとした刹那、
「んっ・・・・・・!」
胸に、電流が走った。
「ん! っん・・・・・・!」
甘い熱が立て続けに走り、やっと男が乳首を捏ねているのだと分かった。それより―――、
何だ、今の声は!?
自分の出した声だというのか。いま喉からほとばしっているこれも?
胸の先端から絶えず繰り出される疼きが、五右ェ門をどんどんおかしくする。やめろ、次元。男の首筋に顔を埋めたまま、
何とかみっともない声を漏らすまいとして耐えた。不意に抱かれた背がひっくり返され、どさりと地についた。驚く間もなく
手を握られる。あろうことか、男は顔を覗き込んできた。
――― ならぬ!
自由になる首だけで、必死に男の視線から逃れた。ひどいことをする、と思う。今のこれは拙者ではない、次元、頼むから
―――、
背けた頬に、唇が押し当てられた。
―――!
男の厚い唇が、頬をちゅっと吸っては離れる。どういうつもりでこんなことをするのか分からなかった。もっと分からないの
は自分自身だ。どうして―――、
どうしていま勃つのだ!?
さっきから緩く反応していたものが、頬への接吻を機に、むくむくと漲り始める。恥ずかしくて堪らなかった。自由になる下
半身を振り回せば拘束が解けそうな気もするが、勃っているそこが男に触れてしまいそうで、暴れることもできない。とに
かくこの手だけでも何とか、と身をよじった瞬間、浮いていた次元の腰が五右ェ門の上に落ちた。
「・・・・・・!」
まさにその上に乗ってしまった次元が、ぎょっとして下腹部を覗き込む。思わず叫んだ。
「――― 見るな!」
消えてしまいたいと思った。
何だか分からないまま衝動をぶつけ合うこれが性行為に似ていることは、五右ェ門にももう分かっている。分かってはい
るが、これは予定外だ。たかが胸を弄られ頬に接吻されたくらいで、こんなに漲ってしまうとは―――、
五右ェ門の手を握っていた両手の一方が、不意に離れた。
「っぁ!」
まるで荷物を探るように、男の手が五右ェ門をまさぐる。思わず上がった声に一瞬動きを止めたのち、次元は身を屈めた。
その場所を覗き込みながら、あてがった手を移動させて確かめている。
「・・・・・・。」
ばれた。ばれた。
五右ェ門のものに触れたまま、次元は硬直している。自由になった方の手で自らの顔を隠したので、男が何を考えている
かは分からなかった。ごくりと音がして、手が動いた。離れるのかと思ったらさにあらず、侍の恥の塊をゆっくりと撫で始め
る。ひどく濡れた音がした。
「――― 離せ!」
もう耐えられなかった。人の無様を、これ以上思い知らせてくれずともよかろう。男の制止を振り切って、目茶苦茶に暴れ
た。
「おい、五右ェ門、」
「おかしかろう、こんな―――、頼む、離してくれ、次―――、」
男が舌打ちした。急に手を掴まれたかと思うと、
「―――!?」
触れた感覚に仰天して、思わずそこを見た。いつもの黒いスラックスのそこが、ファスナーを突き破りそうなくらい張り詰め
ている。
「分かったろ、お前だけじゃねえ。」
「―――、」
五右ェ門に自らを触らせた男の声はつっけんどんで、少しだけ優しかった。そうなのか、お主―――、お主も・・・・・・、
布地の上からでも脈打っているのが分かる。撫でてみた。次元が声を漏らした。五右ェ門のものがまた大きくなった。急
に次元が手をはがし、ベルトを外し始める。
「じげ―――、」
「お前も脱げ。」
言い捨てて、男はスラックスを下着ごとがばっと下ろした。現れた凶暴なものに五右ェ門は息を飲む。怯みそうになる心を
叱咤した。腹を括ったはずであろう。――― そうだ。
これは、性行為だ。
帯を解き、袴を落とす。あの夜の接吻もこれまでの衝動も、詰まるところそういうことだった。簡単な話だ。情を交わしたか
ったのだ、次元と。おそらくは次元も。
こんなに濡らしたのか、と気まずく思いながら、褌から陰茎を引っ張り出す。ものも言わずに男がそれを掴んだ。
「ふ・・・・・・!」
直接触られると全然違う。全身に勢いよく広がる快感をやり過ごし、五右ェ門はブンと頭を振った。これは性行為なのだ。
ちゃんと気持ちよくしてやらねばならぬ。
次元のものを握った。熱い。男が自分のものをしごき始めた。慌てて息を吐き、五右ェ門も手を動かした。またあの匂いの
する首元へ、鼻を埋めてしまう。次元も耳の後ろへ鼻を寄せ、おそらく匂いを嗅いでいる。気持ちよかった。もう何でもいい
と思った。
次元の手が、再び乳首をつまむ。あ、と思う間もなく男の頭が下りていき、もう一方にしゃぶりつかれた。
「ん・・・・・! ん・・・・・・! ん・・・・・・!」
また声が出てしまう。よせ次元、なぜそこばかり嬲るのだ。言っておくが拙者別にそこは何とも―――、
強く吸われた途端に波が来た。違う、これは違うのだと思いながら、五右ェ門は派手に射精していた。
「・・・・・・、」
次元の肩に額を乗せ、大きく息を吐く。気持ちを切り替えた。今のは何かの間違いだ。ともあれ大変悦かったので、次元も
同じように悦くしてやる。顔を上げると、何やら妙な顔の次元と目が合った。「見ておれ」と言い渡し、ものをしごき始めた。
しかしでかい。
今までにも、風呂だの連れ小便だので目にしたことは多分あったが、勃起した状態を見るのはもちろん初めてだ。こんな
にでかくなるのかこやつ。同じ男として、複雑なものがなくもなかった。何となく憮然とした気分で、五右ェ門は男をしごき
続ける。いつの間にか再び定位置で匂いを嗅いでいた次元が、下の方へ手を伸ばした。玉袋に触れられ、ぎくりとする。
「待て次元、今は拙者が・・・・・・、」
「ああ。」
頷くくせに、男の手は止まらない。おとなしく順番を守る気はないらしい。焦りに早まる五右ェ門の手が、ぴたりと止まった。
「――― う。」
「どうした。」
悪人面で、次元が笑う。信じられなかった。何となく、しごき合って射精したら一区切りつくように思っていたのだ。次元の
指は、その先を示唆している。今にも尻の穴に入ってきそうなそれを意識の外に追いやり、男の陰茎にもう一度集中しよう
とした。
「あ・・・・・・、」
入ってきた。
ちょっと、待て、まだ、お主の・・・・・・、
思わず引いた腰が、男の腕でぐいと戻される。中でむずむずとうごめきながら、指は確実に奥へと侵入してきた。こじ開け
られる内腔に痛みはないが、ものすごい違和感がある。ならぬ、これはならぬ。男の肩を掴み、頭をつけて、必死に押し
戻そうとした。全部入ってしまったらしい。挿れたままその掌が、ゆっくりと入口を回した。
「あ・・・・・・、や、め・・・・・・、」
「息しろ。」
囁くように言って、男が鼻でつついてくる。促されるままに顔を上げると、唇が寄ってきた。下はこんなひどいことをしてい
るくせに、接吻は妙に優しい。とにかく必死で息をした。掌が描く円が徐々に大きくなり、そこから生まれる感覚が、だんだ
ん変化し始める。少しだけ楽になったような気がして息を吐いた瞬間、
「うう・・・・・・っ・・・・・・!」
突然引き抜かれた指が、太くなって再び中に押し込まれた。信じたくないが二本入った気がする。圧迫感に詰まる息を通
すように、男は五右ェ門の唇を何度も吸った。柔らかくほどくように指は中をこすり、五右ェ門を少しずつ緩めてゆく。先刻
までの乱暴なこすり合いとは随分違っていた。いたわるように甘い、これは、いわゆる愛撫という奴ではないか。ぎゅっと
目を瞑った。
ずるい、ずるいぞ次元。拙者はまだお主をいかせてもおらぬのに、先へ先へと進みおって。順番を守れ。この指を抜け。
ポカポカと男を叩いてみるが、まるで力が入らない。ゆっくりと押し倒されるのに抵抗もできない。中をこねる指がやっと引
き抜かれた。息をついたのも束の間、今度は両足首を掴まれて血の気が引く。まさか。男を見上げた。馬鹿に真面目な顔
で、次元が言う。
「入れるぞ。」
「ならぬ!」
冗談ではない。第一、拙者まだお主を―――、
「だよな」と男は確かに言った。次の瞬間、でかいのが入ってきた。
「―――!」
目の前が真っ暗になり、さっきまで見えていた星の残像が飛んだ。痛いとか痛くないなんてものではない。憤怒と非難と
苦渋と怨念を絶叫に乗せて吐き出したが、男には全く聞こえていないようだった。叩いても罵っても反応せず、目を瞑った
ままぐいぐいと押し込んでくる。一番奥まで拡げきったところで、ようやく動きが止まった。
息を吐き出しながら、次元が薄目を開ける。結合部を見つめて生唾を飲む男に、一番言いたいことだけ一言、言った。
「殺して、やる。」
「・・・・・・ああ。」
答えるやいなや、腰が引かれる。中ごと持っていかれそうな感覚に、思わず声が出た。抜くのかと思いきや出口の際で男
のものが止まり、再び侍の中を奥まで貫く。
「あ・・・・・・!」
痛みと衝動にほんの少しだけ違う感じが混じり、体が跳ねた。抱きとめるように脚をかかえ、次元は容赦なく腰を振り始め
る。
「くっ・・・・・・、んっ・・・・・・、っく・・・・・・!」
何度も何度もこすられて、中が発火してしまいそうだ。熱の中にじんわりとくすぶるものが生まれ、こすられるたびにその
感覚が際立ってくる。痛みと圧迫感が徐々におさまるにつれ、疼くようなその感じが、新たに五右ェ門を苛み始めた。掴ん
でも掴んでも、手元の草はブチブチとちぎれて飛んでゆく。揺さぶられるままに激しく地面と擦れ合う背中を男が抱きかか
え、侍の腕を自らの背へ回した。
この卑怯者。酷くするのか気遣うのか、どちらかにしろ。どんな顔をしてよいか分からぬではないか。
「覚えて・・・・・・、おれ、次元・・・・・・!」
「ああ。」
男が頷き、五右ェ門を見つめる。ある感情をその視線のうちに認め、侍は思わず目を逸らした。きっと気のせいだ。
ぐずぐずと抜き挿しされ続ける自分の中から、もう無視できないほど膨らんできたこの感覚も、絶対に気のせいだ。
気持ちのいいような、気がするなんて。
男の背を、ガリと掻いてやった。首を振り、次元が顔を歪める。もう一つ罵ってやろうと思った刹那、男の腰が加速した。
―――!
絶対に殺すと誓った。
泣くような声が聞こえた。
*
中で思うさまぶっ放したそれを抜きもせず、次元は侍の上にのしかかってきた。重い。肩を押しのけようとした自分の手が
意に反して男の背を抱きそうになり、五右ェ門は少し戸惑う。結局何もしないうちに、男は勝手に体の上からどいた。再び
目の前に星空が広がる。ごろりと草の上に転がる男へ、声をかけようとした。そこへなおれ次元、今すぐ思い知らせて―
――、
「・・・・・・すまねえ。」
星空が、急に色を失った。
どういう意味か、一瞬で理解した。それでも口が開く。
「なぜ・・・・・・、」
――― 次元。
「なぜ、謝る。」
「・・・・・・。」
男は黙っている。やがてむくりと起き上がり、頭を抱えた。
「――― すまねえ。」
「・・・・・・。」
心底済まなさそうな声に、男のどうしようもない後悔が滲む。しょぼくれた背を少し眺め、五右ェ門はそれから起き上がっ
た。――― そうか。
やはり違ったか、拙者は。
髪の隙間から、草が一本、落ちた。
「――― 斬ってくれ、俺を。」
ガサガサの声で、男が言う。
ひどい男だ、お主は。
黙って立ち上がり、衣服を直した。
振り返らずに、その場を去った。
星を眺めながら歩く。
とりあえず尻が痛かった。やはり斬ればよかったと思う。
歩調に合わせて、光る空が揺れた。立ち止まると星空も止まる。足を踏み出すとまた揺れる。
さっきも、こんな風に揺れていた。
突然、全部思い出した。
匂いも、荒い息も、触れる指も。男がどんな声で、自分の名を呼んだかも。
優しかった。
前髪から覗く眼差しが、驚くほど柔らかかった。
好きだ。
星が滲んで、視界がぼやける。この阿呆めと己を叱った。
全部試した。その結果、こうなったのだ。
頬から顎へと、一つ筋が伝う。
せっかくの星空が、もう見えなかった。
*
「・・・・・・ちゃん、五右ェ門ちゃん。」
ルパンの声に、目を覚ました。朝だ。
テント近くの芝生の上で、むくりと五右ェ門は起き上がった。どうやって戻って来たのか思い出せないが、さすがにあのテ
ントで寝るのは嫌だったらしい。ぼーっと座っている侍に、「ん」とルパンがタオルを渡す。
「顔、洗ってこいよ。」
「・・・・・・。」
何も考えることができなかった。言われるがままにタオルを受け取り、のろのろと川辺へ向かう。水面を覗き込んで、ルパ
ンの意図を理解した。何という顔だ。
泣き腫らした自分の顔というのを、五右ェ門は初めて見た。揉んでも叩いても、すぐには戻りそうもない。諦めて適当に済
ませ、ルパンの元へ戻った。
「ごえ・・・・・・、」
「ルパン、すまぬが。」
タオルを返して言葉を遮る。再び芝生にどっかと座り、頭を下げた。
「やはり今日、拙者はゆかぬ。お主達だけで行ってこい。」
「・・・・・・。」
ルパンは何も言わなかった。ここまで来といてそりゃねえだろ、と普段なら喧しく言うところだ。気分を害したか、と顔を上
げた。手が伸びてきた。
「―――、」
「五右ェ門。」
大きな掌が、侍の頭を撫でた。子供扱いするなと普段なら憤慨するところだ。なぜか今日はおとなしく、五右ェ門は撫でら
れている。こんなものでもありがたかった。思ったより重症なのかもしれない。ルパンも自分も、常とは少し違っていた。
「・・・・・・来てくれ、五右ェ門。」
静かな声で、ルパンが言った。
こくりと、頷いていた。
*
次元がやって来るとは意外だった。ルパンが何か言ったのかもしれない。
渋る男を池のほとりへとぐいぐい引っ張り、自分の隣に並ばせたルパンを、五右ェ門は少し恨めしく思う。次元が今一番見
たくないのは拙者の顔だろうに。かく言う自分も、今この酷い面を見られるのは死んでも御免だった。妙に綺麗な水面に
視線を落とし、男を直接見ないようにする。
池の来歴を滔々と語るルパンの言葉も、ほとんど耳には入って来なかった。隣の男の煙草の匂いが、五右ェ門を話に集
中させてくれない。ただ適当な冗談を言ってるのでないことだけは分かった。
「時間だ」と呟き、ルパンが顔を上げた。
池の周囲が色を変え、もやと光が絡み始める。ルパンの合図で、池を覗いた。
次元がいた。
ああ、やはり好きだ。
なぜか驚いている男と、水面で一瞬目が合う。すぐに目を反らされた。ちくりと胸が痛む。それから、やっと気づいた。
周りの三人が映っていない。口を開いたのは不二子だった。
「・・・・・・ルパンしか見えなくなっちゃったわ。どういうこと、ル・・・・・・、」
急に抱き締められ、女の言葉がくぐもって消える。抱き締めた男が、「この池はな」と嬉しそうに言った。
「恋しい相手の姿を映すんだと。」
「・・・・・・!?」
仰天して、次元が池を再び覗き込んだ。侍も覗く。そして、息を飲んだ。
次元が自分を、見つめている。
心臓が爆発しそうに鳴り始めた。
ふわふわと顔を上げ、不二子とルパンのやり取りを、どこか遠くの出来事のように眺める。女の表情が、ルパンの前にし
ては随分無防備に見えた。よかったな、とぼんやり思う。
「――― どうだ? 一番見たかったもん、見えたか?」
ルパンの言葉にはっとした。もう一度、水面に目を落とす。石川五右ェ門の目には、次元大介だけが見える。それは分か
っている。問題は―――、
男が、再び池を見た。信じられないという表情が、五右ェ門ただ一人を見つめている。信じられぬのはこっちだ。
拙者は昨日、お主に振られたのではないのか。あの夜のあれは、夢だったのか。
男が顔を上げた。五右ェ門も水面から目を離し、男を見つめる。
次元。――― 次元。
誰を見たのか、教えてくれ。
震える唇を、男が開く。
あの星よりも強い光が、五右ェ門の目を射した。
SF45に「A Midsummer Morning's Dream」を投稿した時に、ミツイさんから「五右ェ門サイドの視点でも読みたい」とのお言
葉をいただきました。あの話はあれで終わりのつもりだったのですが、なるほど五右ェ門視点で書くのもおもしろいかな、
と思い、挑戦してみました。初の試みだったので、かなり楽しかったです。
それにしても私は馴れ初めものを何本書いたら気が済むのか(^−^)。
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