フルカラー

                                              漢侍受祭 お題「華」







「前からいっぺん聞いてみたかったんだがな、ルパン。」

 頭の埃を払いながら、次元が言う。

「お前がアジトを選ぶ基準ってのは、一体どうなってやがんだ。」
「あ〜ん?」

 たった今踏み抜いた床板から足を引き抜きながら、ルパンは朗らかに答えた。

「ん〜なもん、グッとくるかどうかに決まってんでしょが。」
「あのなあ、もっと他にいろいろあんだろう!」

 また始まったと思いながら、五右ェ門は襖に手をかけた。ガタピシと鳴らすたびに上から埃の降ってくる
このカビ臭い古民家が、あのガンマンは余程気に召さないらしい。

「俺は別に贅沢言わねえよ。汚かろうが古かろうが構わねえ。ただ空気ぐらいはまともな奴を吸いてえと
思ったって、バチぁ当たらねえんじゃねえか?」
「あ〜あ、やだねえ風流を解さない男は。」

 いつものいさかいを背で受け流しながら、侍はうす暗い和室へと足を踏み入れた。壁にずらりと並ぶ箪
笥や長持ちは、古びてはいたが立派なものばかりで、持ち主が相当豪奢な生活を送っていたことが偲ば
れる。
 ふと、部屋の隅の色彩に目が止まった。
 大きな鏡台だった。目を引いたのは、鏡に掛かる布の豊かな織模様らしい。ずしりと重い布を外すと鏡
面が現れ、鈍い光が五右ェ門の目を射した。

「・・・・・・!?」

 鏡が発するただならぬ気配に、思わず五右ェ門は後ずさった。何だか分からない。妖気、というのが一
番近い。

「ルパン、次元。」

 まだぎゃあぎゃあやっていた2人が、ほとんど同時に振り返る。これ幸いという顔で、ルパンが飛んで来
た。

「どした、五右ェ門。」
「この鏡台だ。」
「お〜、こいつはなかなかのもんでねえの。」

 早速鏡台の前に座り込み、引き出しをバコバコ開け始める。

「妙な気を発しておる。あまり触るな。」
「ま〜た始まった。持ち主の霊でも取り憑いてるってのか?」

 引き出しの中からは、色々な小物が出て来た。紅や粉などの化粧道具、剃刀、鋏、髪留めに簪の類。
最後にルパンが取り出した丸い手鏡の裏側には、見事な椿の蒔絵が施されている。

「五右ェ門のセンサーは侮れねえぜ。」

 いつの間にか入ってきていた次元が、柱に手をつき覗き込む。

「ま、それがホントなら持ち主に会えっかもな。カワイコちゃんだったらい〜なあ♪」

 まるで自分がカワイコちゃんになったかのように、ルパンは手鏡をかざし、鏡台に向かってウインクして
みせた。

 その瞬間、五右ェ門は確かに見た。
 鏡台に写った手鏡の椿が、す、と光を放つのを。

「・・・・・・おい、ルパン!」

 ぽとりと手鏡を取り落とし、ルパンが畳に倒れ込む。
 次元が飛び付き、慌てふためいて揺さぶった。

「冗談はよせよおいルパン、どうしたってんだ!?」
「うるさいねえ、どうもしやしないよ。」
「!?」

 目を閉じたルパンの口から飛び出した言葉に、次元と五右ェ門は顔を見合わせた。パチリ、と目を開い
たルパンが、畳につ、と手をついて起き上がる。

「ふう、久しぶりだねえ、人の体は。」
「ルパン、お前・・・・・・、」
「ルパンは寝てるよ。」

 ルパンの声で、ルパンは寝てるとルパンが言う。混乱しきった次元を押しとどめ、五右ェ門が前に出た。

「・・・・・・お主の名は。」

 あら、話が早いね、とルパンが微笑む。

「椿ってのさ。」
「椿か。何用でルパンに取り憑いた。」

 取り憑・・・・・・?と、次元が息を呑む。

「あんた馴れてんねえ。さぞかし色々掻い潜ってきたんだろうね。」
「お主が今憑いている男、ルパンは名の知れた泥棒だ。拙者達はその仲間。一通りのことは経験してき
た。」
「ああ。こいつのことはあたしにも大体掴めたよ。凄い男だね。」

 横座りしたルパンがにっこりと笑う。

「・・・・・・あんた達みたいなのを待ってたよ。」
「どういう意味だ。」
「一つ、頼まれてくれないかい。」

 急にルパンは膝を正し、手をついた。



「ここは昔、白龍組ってえ任侠一家の邸宅でね。あたしは奥を任されてたのさ。」

 ゴクツマか、と次元が呟く。

「お定まりの縄張り争いに明け暮れてね、とうとう旦那を始め、一族郎党皆殺しになったって訳さ。元より
覚悟はできちゃいたが、一人だけ、許せない奴がいる。」

 若頭だったその男は、ヤマシロといった。始めからそれを狙っていたらしい。椿の不義をヤマシロから
吹き込まれた組長は、妻への疑惑に身を焼かれ、とうとう一太刀の元に椿を斬り捨てる。全てが謀略だ
ったと組長が気付いたのは、敵対する紅龍組にヤマシロが寝返った後のことだった。舎弟を一人残らず
失い、勇壮にも単身敵陣に乗り込んだ組長は、華々しく散ったその後も、椿のいる場所に現れないのだ
と言う。

「・・・・・・まるでシェイクスピアだな。」

 感想を述べた次元を、ルパンはジロリと睨んだ。

「芝居なら幕が下りりゃ終わりだけどね、こちとら何十年たっても終われないんだよ。」
「それで、拙者達に何をしろと。」
「・・・・・・あの人があたしを斬った、刀。」

 ルパンが五右ェ門を見上げる。

「あんたの持ってるのも相当な業物みたいじゃないか。うちの家宝もそりゃたいしたもんでね、銘は兼定、
あの人の宝物だったよ。あたしを斬った後、あいつらの所に乗り込んだ時も兼定と一緒だった。・・・・・・そ
いつをヤマシロが持ってるんだ。今じゃ紅龍の頭さ。」
「なるほど、その兼定とやらを奪い返してえって訳か。あんたの旦那はそこにいると思うんだな。」

 ようやく現状を受け入れたらしい。煙草に火をつけ、次元がふー、と長い煙を吐いた。

「・・・・・・どうだい、力を貸してくれないかい。」
「断る。」

 言下に侍が言い放つ。次元もこっくりと頷いた。

「ならず者同士、くだらぬの喧嘩の後始末ではないか。拙者達が助太刀する理由はない。」
「・・・・・・それもそうだね。」

 あっさりと言い、ルパンは立ち上がった。そのままスタスタと玄関へ歩いて行く。

「おい、どこ行くんだ。」
「決まってんだろ。あたし1人で行くんだよ。」
「ルパン置いてけよ。」

 言われてルパンは困ったように自分の体を触った。

「戻り方が分かんなくてね。悪いけど、こいつは借りて行くよ。」
「待て待て!」

 次元が慌ててルパンの裾を引き掴む。

「お前、ホントにその体から出て行けねえのかよ。」
「ああ。」

 なんてこったと次元は天を仰いだ。

「・・・・・・助太刀するしかないようだな。」

 五右ェ門がため息と共に言う。ルパンの顔がぱっと晴れた。

「やってくれるのかい。」
「お主1人で行ったところで、返り討ちに遭うのがオチだろう。でたらめな男だが、ルパンは大事な仲間だ。
みすみす命を落とさせる訳にはいかん。」

「でたらめな」の部分がルパンに聞こえてなけりゃいいがな、と次元は思った。

「それで、紅龍組とやらにどうやって潜り込む。」
「あたしにいい考えがあるよ!」

 嬉しそうに飛び上がったルパンが、突然五右ェ門に抱きつき、その唇を奪った。

「!?」
「・・・・・・!!」

 目の前で繰り広げられる濃厚な接吻を、次元はなす術もなくただ眺めた。驚きに目を見開いた侍の手か
ら、愛刀がカランと落ちる。

「・・・・・・てっめえルパン!」

 我に返り、やっとのことでルパンをぶちのめした次元は、体の動かなかった数秒間を心の底から後悔し
た。

「ってえな次元! 何しやがる!」
「そりゃこっちの台詞だ! 前々から俺ぁひょっとしてそうじゃねえかと思ってたんだ。お前もやっぱ五右ェ
門が・・・・・・!」
「バカだね、そいつにそんな気なんてないよ。」

 五右ェ門の声だった。

 2人が振り返ると、侍は何やら袴の辺りをごそごそやっている。

「変な感じだね、褌ってのは。」
「・・・・・・椿、か?」
「そう、今度はこっちのお侍に憑かせてもらったよ。ああすりゃ、あんた達の間を移動することはできるん
だ。紅龍に潜り込むのに、このお侍を借りるよ。」

 つい、と胸に手を当て、五右ェ門が婉然と微笑んでみせる。普段なら絶対見ることのない侍の艶やかな
笑みに、事態を忘れて次元はくらくらした。

「・・・・・・な〜にが何だか、さっぱり分かんね。」

 顎をさすりながら、ルパンが呟いた。



     *



「・・・・・・話は分かった。」

 憑かれていた時の記憶は、どうやら全くないらしい。腕組みするルパンの顎に、五右ェ門がよもぎの汁
を塗り付ける。

「いち!」
「我慢おし、男だろ。」

 介抱する侍の周りを、意味もなく次元はウロウロした。中身は椿だと分かっているが、女のようにかいが
いしくルパンの世話を焼く五右ェ門というのは、やはり見ていて気持ちのいいものではない。

「座ったらどうだい、みっともない。」

 とうとう侍にピシャリとやられ、次元は不承不承、腰を落ち着けた。

「しゃあねえ、やるしかあんめえな。断ったらあんたずっと俺達に憑いて回るんだろ。」

 諦めたように言うルパンに、「恩に着るよ!」と叫んで五右ェ門が抱きついた。

「何してんだ五右ェ門、離れろ!」
「五右ェ門じゃねえっつってんだろがバカ次元! 学べ!」

 組んずほぐれつがようやく解け、3人は顔中傷だらけにして起き上がった。「く〜っそ〜お!」とルパンが
叫ぶ。

「これじゃ命がいくつあっても足んねえっつの! とっととカタぁ付けんぞ!」

 おい椿、と五右ェ門に向き直る。

「何か策があんだろ。」
「ああ。」

 乱れた着物をささ、と直し、侍は正座した。

「ヤマシロは芸事が好きでね、唄いだの三味線だの家に上げちゃ楽しんでる。それも女だけ。兼定は床
の間だろうから、芸妓に成り済ますのが一番さ。」
「じゃお前、まさか・・・・・・、」
「このお侍は化けるよ。あたしが保証する。」

 うなじを掻き上げ、五右ェ門は笑った。

「あんた達は家捜しでもしてりゃいい。ずいぶん貯め込んでるはずだよ。蔵もある。」
「それでお前、」

 煙草を取り出しながら、次元が言った。

「こいつの体借りて、ヤマシロを殺ろうって訳か。」
「いけないかい。」

 涼しい顔で侍が返す。

「五右ェ門が何て言うかな。」
「説得しとくれ。」
「あのなあ、」

 身を乗り出す次元を、「まあまあ」とルパンが止める。

「この際よ、椿ちゃんには気持ちよ〜く成仏してもらおうぜ。俺達は全力でサポートすっからよ。」
「ありがと、ルパン。」

 屈託なく笑う五右ェ門をちらりと見やり、「気に入らねえ」と次元は呟いた。



     *



 何度か憑依を繰り返し、やっと計画が全員の頭に収まった。

「・・・・・・気に入らんな。」

 仏頂面の侍を、ルパンがなだめすかす。

「しょうがねえだろが五右ェ門。これから先、ずっとあいつ憑きで泥棒稼業やってく訳にもいくめえ?」
「不二子にでも憑いてもらうというのはどうだ。寝首をかかれる心配が減って、ちょうどよい。」
「おんまえ何てこと言うんだ五右ェ門!」

 ルパンが立ち上がるのと同時に、

「いま帰ったよ!」

 次元の高らかな声が響いた。

「やれやれ参ったよ、どの店入っても変な顔されてさ。でも買い物はやっぱりいいねえ! 久しぶりに気
分が清々したよ。」

 ウキウキと喋りながら、次元は買って来た品々を広げ始める。着物、帯、組紐、簪、化粧品に香水まで。
応対した店員の悲劇に思いを馳せ、ルパンはため息をついた。

「ちょっと待て。まさか、これを・・・・・・、」

 眺めていた五右ェ門が、ふいに顔を上げる。

「決まってるだろ。そのために買って来たんじゃないか。」

 事もなげに次元が言う。

「覚悟決めろ、五右ェ門。」

 すいとルパンに羽交い締めにされ、「卑怯だぞルパン!」と侍は叫んだ。次元がじりじりと近付き、人差
し指で侍の顎をくい、と上げる。

「やめろ次元! ルパンが見ているではないか!」
「あのなあ五右ェ門、これ次元じゃないって分かってんだろが!」
「やめ・・・・・・!・・・・・・ん、ふ・・・・・・!」

 真っ赤な顔で鼻にかかる声を漏らす侍に、誰が暴れ出したいって俺だよ、とルパンは再びため息をつ
いた。



     *



「できたよ。」

 しゃなり、と出て来た五右ェ門の姿に、次元はほとんど息をするのも忘れて見入った。
 結い上げた髪の濡れたような黒は、金の簪と絡んで夢のように映えた。大胆に抜かれた襟が、うなじか
ら背中へ伸びる美しいラインを惜し気もなく晒している。白い綸子地の着物は帯の黒銀によって引き締め
られ、肩から裾にかけ乱れ散る花弁の真紅が、はっとするほど鮮やかに閃いた。

「どうだい。」

 薄く紅を引いた唇から、五右ェ門の声が零れる。ほの赤く色付いたまなじりが、柔らかな弧を描いて笑
みを放った。艶めいて真っすぐな視線をまともに受けることもできず、次元は黙って俯いた。

「おお〜、綺麗だねえ〜。」

 ルパンが素直に感嘆の声を上げる。

「苦労したんだよ。力作だろ。」
「いやもう素〜晴らしい素晴らしい! 五右ェ門じゃなかったら口説きまくってるところだぜ。」
「あら、ありがとルパン。」

 白い粉を刷いた侍の美しい手が、ルパンの肩にかかる。頬をつ、と撫でられて、ルパンは笑った。

「や〜めとけ椿、それ以上されたら、オレ次元に殺されっちまわあ。」

 フン、と呟き背を向ける次元に、ルパンと侍は顔を見合わせ笑った。



     *



 月が出た。
 紅龍組の屋敷から少し離れた所にアルファロメオを停め、椿憑きの侍と次元は合図を待った。

「・・・・・・遅いね。」

 呟く五右ェ門のほつれ毛が、春のぬるい風に煽られなびく。華やかなその姿は青い光を浴びて、今や
匂い立たんばかりだった。見とれる次元を、侍が振り返る。

「ん?」
「・・・・・・なんでもねえ。」

 慌てて目をそらし、次元は何か話題を探した。

「・・・・・・そういえば、あんた。」
「なんだい。」

 侍の方を見ないようにして、次元は続ける。

「ルパンに憑いた時、あいつにそんな気はねえとか言ってたな。」
「・・・・・・ああ、あれね。」

 侍が愉しそうに笑った。

「あれほんとか。」
「ああ。」
「そういうの分かるもんなのか。」
「分かるよ。ルパンもこのお侍が随分気に入ってるみたいだけどね、あんたが抱えてるのとは大分違うね。」
「俺のこたぁいい。」

 ムスっとして煙草を探しながら、次元は、もう一つの質問を舌の上で転がしてみた。いま椿は、五右ェ
門に憑いている。
 突然、侍がケラケラと笑い出した。

「何だよ。」
「いや、分かりやすい男だね、あんた!」

 侍は身をよじらせて笑い転げている。「うるせえ」とがなった勢いで次元はまくし立てた。こうなったら全
部言ってやる。

「言いたかないがあんた、ちっと欲求不満なんじゃねえのか。やたらルパンにベタベタしやがってよ。」
「しょうがないだろ、久しぶりなんだから。」

 ケロリと澄ました侍の顔は、憎々しいほどである。

「要するにあんた、お侍がルパンにベタベタするのが嫌なんだろ。まったく、心底やられちまってんだねえ。」
「バカ言え、誰が。」

 うそぶく次元に、白い手が伸びた。

「・・・・・・それじゃ、どうだい。」

 顎髭をなぞり、侍の方に顔を向けさせる。

「ちょいとあたしと遊んでみないかい。なに、戦の前の景気づけさ。」
「・・・・・・。」

 次元の頬に触れたまま、五右ェ門が、もう一方の手で自らの膝をゆっくり広げてみせる。
 白い着物がぱっくり開いた。揺れる襦袢を掻き上げて、侍が薄く唇を開く。赤い襦袢に男の腿が、この
世のものとも思われぬほどなまめいて見えた。
 こういうのを夢に見たことがある、と次元は考える。発情した五右ェ門が自ら脚を開き、次元が欲しいと
ねだってみせるのだ。
 膝を広げるその手を握った。
 侍の瞳が、蠱惑的に笑う。
 そのまま膝を押し戻し、静かに閉じた。

「・・・・・・よしときな。旦那が泣くぜ。」
「ちぇっ。」

 五右ェ門が舌打ちする。

「やっぱりメロメロなんじゃないか、あんた。」
「よせやい。」

 合図の閃光が見えた。



     *






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