トランキライザー

                                              漢侍受祭 お題「斬」







 自分を持て余すといつもここだ。

 ぜいぜいと息を切らして、次元は最後の大岩に足をかけた。石くれが転がり、足元の激しい流れへと一
つ二つ落ちる。

 下流では今が見頃の紅葉も、ここではほとんど散ってしまっていた。濡れた落葉に足を取られないよう
気をつけながら、大岩をよじ登る。小さな滝壺の手前に、案の定、侍の姿が見えた。

 頭おかしいんじゃねえか、あいつ。

 この寒風吹きすさぶ中、五右ェ門は褌一丁で瞑想している。木陰に隠れて様子を窺った。やおら立ち
上がり、凄まじい声を発したかと思うと、轟々と落ちる滝の方へすっ飛んで行く。

 地を蹴り白刃が閃めいた瞬間、確かに流れは一度止まった。
 束の間の静寂の後、何事もなかったかのように、再び水音が上がり始める。

 愛刀をチン、と鞘に納めた五右ェ門が、振り向きもせず発した。

「・・・・・・何しに来た。」
「ちょいと散歩をな。」
「嘘をつくな。」

 散歩どころか登山でもどうか、という場所だった。ピカピカだった革靴は今や泥まみれ、自慢のスーツ
も、ほころび鉤裂いてヨレヨレだ。嘆息し、木立から歩み出る。
 近くで見る侍は微かに汗ばみ、湯気さえ上げていた。

「何時間やってんだ?」
「拙者の勝手であろう。」

 ふいと背を向ける。素振りを始め、「用がないなら帰れ」と吐き捨てた。

「ちょっと休ませてくれよ。」
「・・・・・・。」

 どっこらしょ、と次元は腰を下ろした。無言で刀を振り続ける侍を眺める。

 こいつのどこにこんな力が、という常の疑問は、その体躯を見ればおのずと解ける。元々肉の薄い体
なのだ。それがこれだけ隙のない筋肉を身に付けるには、相当の鍛練が必要と思われた。放っておけば
すぐに元の脆弱へ返ろうとする自らの体と、この侍は日々戦っている。

 素振りは何時間でも続くのだろう。煙草を取り出し、火を付ける。腕が上下するたびに、美しい孤を描き
隆起する背につい見とれた。「じろじろ見るな」と侍が言う。笑って答えた。

「いいケツだな。」

 突然、空気が裂けた。
 す、と鼻先に突き付けられた切っ先を、ほとんど何の感慨も持たず次元は眺めた。唇すれすれのとこ
ろで煙草が離れ、ぽろりと落ちる。

「・・・・・・そんなに気に入らねえか、あの女が。」

 虚をつかれ、五右ェ門が口をつぐんだ。

「あーあ、もったいねえ。」

 もう一本取り出して火を付ける。「言っとくがな」と続けた。

「俺は女は嫌えだ。だがもし気が向いたら、困ってる女くらいは助けることもある。」

 お前だってそうだろ?と笑った。

「情が移ってひでえ目にあったことだってあるじゃねえか。お互い様だろ。」
「・・・・・・そんなことは分かっている。」

 ぼそりと言い、また素振りを始める。頑ななその背に向かって、次元は言葉を投げ続けた。

「・・・・・・じゃ何が気にくわねえんだ。俺がエジプトくんだりまであの女についてったことか。」
「違う。」
「あいつがまだアジトで伏せってることか。」
「そうではない。」
「妬いてる自分が嫌なのか。」
「妬いてなどおらん!」

 大きな声に、周囲の鳥がバサバサと飛び立つ。一瞬の後、侍は渾身の力を込めて刀を振り始めた。

「・・・・・・お主の人助けに文句をつける気はない。妙にまめまめしく世話を焼こうが、あのおなごがお主を
慕い始めていようが、エジプトへ共に手を携えて帰ろうが、一向に構わん。」

 次元は尻がむず痒くなってきた。妬いている、という告白と何が違うのかさっぱり分からない。
 ぶんぶん振り回されていた刀が、ふいに止まった。侍がぽつりと呟く。

「・・・・・・拙者は弱い人間だ。」

 思わず顔を上げた。愛刀をぶらんと下げ、背を向けたまま侍は続ける。

「拙者は弱い。お主と、・・・・・・その、・・・・・・こういうことになって、それがよく分かった。だからお主には感
謝しなければならぬ。」

 そりゃどうも、と次元は呟いた。五右ェ門の後ろ髪が、木枯らしに煽られる。

「お主が人を助けるのも、誰かを好ましく思うのも、全くお主の自由だ。問題は、拙者の弱い心なのだ。だ
から山に篭った。」

 大きく息を吸い、こちらに向き直る。

「この弱い心を、拙者は断ち斬らねばならぬ。」
「・・・・・・。」

 ゆっくり煙を吐き出して、次元は欠伸するように言った。

「・・・・・・別にいいじゃねえか。」
「なに?」

 顔色を変える侍を見上げ、続ける。

「弱いなら弱いで、そのままじゃいけねえのか。」
「よい訳がなかろう。心身共に強くあらねば、真の武士として・・・・・・、」
「五右ェ門。」

 講釈を遮り、手を差し延べた。

「?」
「ん、」

 促されて侍が手を差し出す。引き掴み、よっ、と立ち上がった。

「お前、俺が好きか?」
「!?」

 面食らう顔を覗き込むと、慌てて侍はそっぽを向いた。一度開いた口が、閉じて、また開く。
 「好いておる」と言葉がこぼれた。

「・・・・・・だったら、そのモヤモヤはセットだぜ。諦めな。」
「セット?」
「そうだ。捩じ伏せるのは無理ってこった。」
「・・・・・・。」

 違う、と侍が呟いた。

「ああ?」
「それは違う。」

 突然駆け出し、刀を闇雲に振り始める。

「おい、五右ェ門。」
「お主が好きだ!」

 地を揺るがす大音声に、鳥達が今度は鳴き止んだ。水音だけが辺りに響く。

「お主が好きだ。それはもはや如何ともしがたいから仕方がない。しかし、だからと言ってお主を我が物
にしていい訳がない。」

 軽い眩暈から、ようやく次元は立ち直った。喜んでる場合じゃねえ。侍はお構いなしで刀を振り回し続
けている。

「・・・・・・独占せんとする欲は、醜い。心を曇らす。なによりお主に対して失礼だ。この欲は何としても断ち
斬らねばならん。」

 ・・・・・・すげえ告白だな、おい。
 帽子をかぶり直し、次元は足を踏み出した。侍の薙ぎ払った草が舞い上がり、飛んで来る。

「いま寄るな、次元。お主も斬るぞ。」
「本望だ。好きにしろよ。」

 刃先が頬をかすめる。閃く白刃を避けるでも掻いくぐるでもなく、次元は五右ェ門にただ近づき、手を伸
ばした。
 次の瞬間、侍は腕の中にいた。
 カラン、と音がして名刀が足元に落ちる。

「離せ・・・・・・!」
「じっとしてな。その欲とやらをばっさり斬り捨てる方法が、一つだけある。」

 まことか、と侍が顔を上げる。その顎に手を添えた。

「!!」

 接吻は長く、丁寧に。そういう気分だった。深い場所へ侵入するにつれ、五右ェ門の抵抗が弱まってい
く。
 ゆっくり離した唇を、侍の耳元に寄せた。


「・・・・・・お前だけだ。信じろ。」


 びくん、と五右ェ門が震える。頭を撫で、首筋を撫で下ろし、それから肩をぽんと叩いた。

「どうだ、一刀両断だろ。」
「・・・・・・。」

 驚いたような顔で、侍が唇を拭う。

「どうした? あんまり簡単に断ち斬れたんで、拍子抜けしたか。」
「・・・・・・抜かせ。」

 後ろを向く五右ェ門の手を取った。

「帰ろうぜ。」
「・・・・・・。」

 しばらく沈黙した後、侍は手をほどいた。「まだ帰れん」と呟く。

「何だ、欲はまだ消えねえか。」
「・・・・・・いや、それについては、礼を言う。」

 よくよく素直な侍だ。後ろからでも顔が赤いのが分かる。

「しかし、お主の一言にこれほど左右されるのは我ながら情けない。少し考えたい。」

 やれやれ。
 もそもそと座り込む次元を見咎めて、侍が「お主は帰れ」と言う。「冗談だろ」と笑った。

「五右ェ門、俺ァ今、お前と一瞬だって離れたくねえ。悪ぃが待たせてもらうぜ。」
「・・・・・・。」

 侍は黙ってスタスタと歩き出した。畳んであった着物を拾い上げ、やって来る。次元の膝にポンと投げ
た。

「羽織っていろ。山は冷える。」
「ありがてえ。早いとこ頼むぜ。」
「・・・・・・それは約束しかねる。」

 雲が動いて、夕陽が急に差し込んだ。
 滝の方へ向かう五右ェ門を眺めながら、次元は煙草を取り出す。
 やっぱりいいケツだな、と思った。












祭投稿4本目です。
エロ系を3本立て続けに書いたら、「健全なヤツが書きてえ!」という欲求に見舞われたので、書いてみ
ました。褌一丁にしといて健全もへったくれもありませんが(^−^)
この2人は、きっとこういうことを何度も繰り返していると思います(^−^)






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