夏茶事
暑い。
生きとし生けるものはみな木陰で休むしかないような、過酷な午後だった。
「 こっの、大馬鹿野郎!」
ドアを開けようとして聞こえてきた割れんばかりの怒声に、五右ェ門の手ははたと止まった。
怒鳴られた方は痛くも痒くもないらしい。いけしゃあしゃあとした声が聞こえた。
「そ〜んなに怒んなくってもいいじゃないのよ、お宝は結局手に入ったんだから。」
「俺と五右ェ門が奪い返さなかったらあの女行きだったろうが! どうしてお前はそう女にだらしがねえんだ!?」
「んなこと言われてもこればっかりはなあ〜。男のサガとゆーか文学とゆーか・・・・・・、」
「いいかよく聞けルパン! 今度お前のサガや文学で俺達の仕事を台なしにしやがったら・・・・・・!」
ちょい待ち次元、という声で、猛々しい恫喝が不意に止まる。
「どしたぁ五右ェ門? 入れよ。」
「 。」
ルパンに呼ばれて初めて、五右ェ門は自分がドアを開けかねていることに気づいた。ノブを回し、「よいか」と声をかける。
「 刀を取りに来ただけだ。すぐに出る。」
「五右ェ門、お前も言ってやれ、この色情魔に。」
「し〜きじょーまはちょっとひどいんでないの次元ちゃん。なあ五右ェ門?」
男達が口々に言う。愛刀を手に取り、侍は二人の方へ振り返った。
「・・・・・・邪魔をしてすまなかった。続けてくれ。」
軽く頭を下げ、ドアを閉める。
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
パタン、と閉じたドアの前で、ルパンと次元は顔を見合わせた。
「・・・・・・お前行ってやれば、次元。」
「なんで。」
つっけんどんに答え、次元は髭をひねくっている。
「ま、いいけどよ」とルパンは肩をすくめた。
*
ジワジワジワジワとアブラゼミが鳴き続ける。
電気ポットの湯が沸いた。鉄瓶に熱湯を注ぎ、茶器に移して温める。炉がないのが残念だが、この小さな庵は五右ェ門の気に入りだった。ク
ーラーがないので他の二人が寄り付かないのもちょうどよい。湯を沸かした熱がこもり蒸し風呂のようになった部屋の隅で、一息ついた後、静
かに茶を点て始める。
いつものことだ。別に珍しくも何ともなかった。今日に限って、どうしてそんな風に感じたのか分からない。
ただ少し、ほんの少しだけ思ってしまったのだ。 いいな、と。
人に言えぬ間柄になって随分経つが、次元が自分に向かってあんな風に声を張り上げたことは、いまだない。あの男が遠慮なく感情をぶつ
けることのできる相手は、やはりルパンなのだ。
それでいいと思う。
点てた茶を見つめ、一気に飲み干した。いつもは甘露と感じる濃い苦みが、少しだけ喉に残った。
「 俺にもちょうだい。」
顔を上げると、襖の隙間からひらひらと踊る手が見えた。
「うむ。」
するりと部屋に入った途端、ルパンは熱気に顔をしかめた。長い脚を窮屈そうに曲げて胡座をかく。こういうことをどこで覚えてくるのか知らな
いが、饗した茶碗の柄をちゃんと愛で、半分回して飲み干した。
「んまいね。」
「いたみいる。」
「んで、」
茶碗を下げようとした五右ェ門の顔を、ルパンが覗き込む。
「どうかした? 五右ェ門。」
「 。」
ぴくりと動きを止め、「どうもせん」と五右ェ門は答えた。再び茶碗へ手を伸ばす。
「お主らにはお主らの関係がある。そういうことだ。」
「・・・・・・。」
手でぱたぱたと顔を仰ぎ、ルパンはよっ、と脚を伸ばす。
「・・・・・・まあ、分かんねっかもな、五右ェ門には。」
「・・・・・・、」
思わず顔を上げる五右ェ門にニヤリと笑い、ルパンは続けた。
「お前は常に無念夢想だからな。」
「 ?」
完全に手を止め、五右ェ門が先を促す。
「あいつな♪」
ルパンの言葉は歌のようだ。
「カッコいいとこだけ見せたいのよ、お前には。」
「・・・・・・。」
「か〜わいいじゃないの♪」
蝉の声が一際高くなった。
侍が何か言いかけた瞬間、微かに靴音が聞こえた。
「やべ」とルパンが立ち上がる。
「内緒な、今の♪」
障子窓からヒラリと消え、音もなく窓は閉じた。次の瞬間、反対側の襖が開く。
「・・・・・・。」
暑苦しいなりで、次元は立っていた。
ジャケットも脱がず、ネクタイも着けたままだ。たったいま出たルパンには気づかなかったらしい。ものも言わずに上がり込み、もっそりと胡座
を掻く。
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
お主も飲むかと聞こうとして、五右ェ門は思い直した。どう考えても苦手そうだ。
茶碗をゆすぎ、茶器を一つ一つ片付け始めた。
五右ェ門の様子を見るでもなく、次元はただ座っている。背を丸め顎を突き出した姿はいつも通りで、何も考えていないように見えた。
たまに帽子を直したりして、特に口を開く様子もない。
蝉が、鳴くのをやめた。
放り出されたように部屋が静かになる。
つくねんと座る男の頬から、汗がぱたた、と落ちた。
シャツの襟元の汗染みが、みるみるうちに広がっていく。
見つめていた五右ェ門の口元が、不意に緩んだ。
なるほどな。
ふ、と漏れた声に、次元が顔を上げる。
もの問いたげな目に、五右ェ門は答えた。
「氷でも掻くか、次元。」
「 氷?」
「うむ。お主は茶より氷の方がよかろう。」
立ち上がる五右ェ門を次元が見上げる。何か言おうとして、それから、帽子に手をやった。
「 おう。」
腰を上げる次元を尻目に、襖を開けた。
そういうお主が好きだ。
開け放した庵に、風がさっと入った。
拙宅が10万ヒットを迎えた際に、「period limitation」の月子さんから、「キリ番を踏んでリクエストしようと思ったのに、100017だったー!」とい
うメッセージをいただきました。月子さんにはどこまでも甘いオレです(^−^)。なんか書きますよとお伝えしたところ、「10万という数字に比べ
てすごく小さな数『17』にちなんで、ルパンと次元の関係を『ちょっと』『いいな』と思う五右ェ門」というリクエストをいただきました。なるほど面
白い!
こういう時に、だまーってただ側にいる次元って、狡いと思います。だがそこがいい(^−^)!
月子さん、リクエストありがとうございました!
→BACK