端緒








     まいったね、どうも・・・・・・。


 カウンターに顎を乗せ、置いたままのおちょこからずず、と酒をすする後藤にしのぶの声が飛んだ。

「ちょと聞〜てるの後藤さん?」
「はいはい、聞いてますよ。」
「嘘ばっかり。どうせどーでもいいのよね、私の言ってることなん・・・・・・。」

 ふにゃふにゃと崩れそうになるしのぶを支える後藤に、「おかーり」と杯が突き出される。

「南雲さん・・・・・・、ちょ〜っと飲み過ぎなんじゃないかなあ?」
「なーによ今日はとことん、て言ったの後藤さんでしょお?」

     だって知らなかったもんなあ、南雲さんがこんなからみ酒だって・・・・・・。

 第一小隊長南雲しのぶに声をかけたのは、ほんの軽い気持ちからだった。第二小隊の人員もやっと揃
ったことだし、今までのフォローの礼と、何より、新機種をもらえなかった南雲のわだかまりが少しでも解
ければ、その程度だったのだ。

     しかしこんなにわだかまってたとはね・・・・・・。

 甘かったなあと後悔しながら、しのぶに酌をする。やば、目が合っちゃったよ。

「後藤さん、飲んでないじゃない。」
「飲んでますよ、ほら。」

 杯をあけてみせると、すかさずしのぶがお銚子を差し出す。

「全然顔に出ないから分からないのよね。」
「そう? 同じくらい飲んでるじゃない。」
「じゃなくて、」

 しのぶがぐい、と身を乗り出した。

「何考えてるの?後藤さんて。」
「・・・・・・なにって?」
「イングラムもらえて嬉しい?」
「・・・・・・はい。嬉しいです。」

 あら素直ね、としのぶは杯をあけた。

「どう?あの賑やかな部下たちは。」
「ん〜、ま、俺にはあのくらいがちょうどいいんじゃない?」
「使いこなせると思う?」
「イングラムを?そうだなあ・・・。」

 おやっさん、ヒモ追加ねと声をかけてから後藤はしのぶに向き直った。

「いけると思うよ。」
「・・・・・・。」

 なかば据わった目で、しのぶが先を促す。

「ぱっと見あんなだからね、分かりづらいけど相当なセンスの持ち主たちだ。まあ突出し過ぎてて1人1人
のバランスは悪いけど、そういうのを補えるのがチームの効用ってもんでしょう。」
「・・・自信ある?」
「俺は何もしてやれないからなあ。」
「そうかしら。」

 しのぶは杯を置いた。まっすぐに前を見つめている。

「まだ少ししか見てないけど、うまくコントロールしてるように見えるわ。」
「そお?」
「何て言うのかしら、気持ちの中心を彼らと近い所に置きながら、俯瞰してる感じ・・・・馴れ合ってるだけに
見える時もあるけどね。」
「そりゃ正しいね。」

 後藤が笑った。

「・・・・・・指揮命令だけじゃない距離の取り方ってあるのね。」

 杯を見つめながらぽつりとこぼすしのぶを後藤はちらりと横目で見た。

「人それぞれじゃないの?南雲さんには南雲さんの、俺には俺のやり方がある訳でしょ。」
「・・・・・・。」
「立派にやってるじゃない。俺もやってみて少しだけ分かったけどさ。あんだけの数の出動を今まで第一
小隊だけでこなしてきたんだもの。」

 くっ、と一息で飲み干した。

「・・・・・・大変だったでしょ。」
「後藤さん、」

 しのぶが遮った。

「誤解されたくないんだけど。」

 言いながらお銚子を差し出す。後藤はまずったかな、という顔で神妙に受けた。

「慰めてほしいわけじゃないのよ。」
「はい。」
「・・・・・・でもそうね、人も装備も隊長も違ってて当たり前なのよね。」
「・・・・・・。」
「ちょっと怖かったのかもしれない。何とか今までやってきたとこに、得体の知れない新しい小隊ができて?」

 得体の知れない、はひどいなあと苦笑して後藤が杯を返す。

「新しい装備もらった途端、うちの隊を踏み台にして派手にご活躍あそばされて?」
「すんません、ほんとに。」

 頭を下げる後藤にしのぶはふ、と笑い杯をあけた。

「・・・・・・やる気のまるでなさそうなおじさん隊長がなんだかんだいってうまくやってるんだもの、不安にな
らない方が変よね。」

「あのね、南雲さん・・・、」
「負けないわよ、後藤さん。」

 こん、と杯を置いてしのぶが後藤を見る。意思の強そうな目の縁が赤く染まっていた。

「・・・・・・お手やわらかに、お願いします。」

 強い眼差しから目を離さずに後藤がニヤリと返す。
 しのぶが笑った。
 きれいだな、と一瞬思った。

「さ、そろそろお開きにしましょうか。明日も早いわよ。」

 しのぶが立ち上がった。明らかに足元が怪しい。

「南雲さん、やっぱり相当酔ってます?」
「大丈夫です。いくらかしら。」
「いや俺おごるって。誘ったの俺だしさ。」
「だめよ私何も貸してないもの。はい半分ね。」

 カウンターにきっちり半額を置いてふらふらと店を出る。後藤は慌てて会計を済ませた。


 通りに出たがしのぶの姿はない。

     タクシー拾ったのかな?

 大丈夫かね、と煙草を取り出した後藤の耳に、ふとその声が聞こえた。辺りを見回し、声の主を街灯の
下に見つける。ふはは、と笑い声が漏れた。ガードレールの上に立ち上がって後藤を呼んでいるしのぶ
の方へ歩いた。

「南雲さん・・・・・・。」
「遅かったわね、ごとーさん。」
「ごきげんだねえ。」
「ん〜?そうね、今日飲めてよかったかもね。」

 ガードレールの上でくるりと向きを変える。ね、酔ってないでしょ?と問うしのぶに後藤はまた笑った。

「そーだね、でもほら危ないから、もう降りません?」
「もーうるさいわね、降りればいいんでしょ、いくわよ!」

     え?

 煌々と照っていた月が一瞬しのぶの陰に隠れる。どさ、という音と共に、後藤はしのぶを抱えて尻餅を
ついた。

「もう、へたくそ!」
「そりゃないよ・・・・・・。」

 しかめつらでしのぶを見る。しのぶが楽しそうに声をあげた。

「手を離しなさい、後藤喜一。」
「いやだね。」

 振り回されっぱなしのお返しのような気分で、後藤はなんとなく逆らってみた。本当になんとなく、離した
くないと思った。

「離さないとひどいわよ。」
「へえ、どうひどいの?」
「こうよ。」


 ちゅ。


 後藤は手を離した。

「あら、ありがと。」

 しのぶが立ち上がり、後藤の手を掴んで引き上げる。ちょうど近寄ったタクシーに手を振り、後藤を振り
返った。

「後藤さん、方向逆よね? タクシー別でいい?」
「・・・・・・はい。」
「じゃ、お疲れさま♪」

 おぼつかない足取りでタクシーに乗り込み、行き先を告げているしのぶの姿が前方へ滑り出す。
 走り去ったタクシーの後には、通りの音楽と救急車の音だけが残った。

 後藤は唇に拳をあてた。

「・・・・・・やられた、なあ。」

 空のタクシーが何台も後藤の前を通り過ぎた。



     *



「おはよう、後藤さん。」

 コーヒーの香りとともにしのぶが挨拶する。「ぅあよ」と返す後藤の顔を覗きこんだ。

「・・・・・・ひどい顔よ。」
「そう? 飲み過ぎたかなあ。」

 何か言いたそうなしのぶを素通りし、空とぼけて更衣室へ向かう。まさか、枕を抱えてまんじりともしな
いで夜を明かしましたとは言えまい。
 着替えて出るとドアのすぐ前で待っていたしのぶと鉢合わせた。

「・・・・・・なに?」
「・・・・・・後藤さん・・・・・・、」

 しのぶが言いにくそうに声をひそめる。昨日までと同じ声に聞こえないのはなぜだろう、と後藤はぼん
やり考えた。

「昨日、ごめんなさい。」
「え〜と・・・・・・、」

 どれのこと?とも聞けず後藤は次の言葉を待つ。

「・・・・・・正直、よく覚えてないの。」

 脱力する体を気付かれないよう支えるのに苦労した。

「・・・・・・こんな風に記憶なくしてる時って、変なクセが出ることがあるらしいんだけど、その・・・・・・、」

 私、なにかした?と小さく尋ねるしのぶの唇を見つめそうになるのを後藤はかろうじて我慢する。

「腹踊りのこと?それともゴミ捨て場で寝てたことかな?」
「・・・・・・そんなことしません!」

 真っ赤になって怒るしのぶの肩をぽん、とたたいて、後藤はいい香りのする方へ向かった。

「しっかりしてたよ。お勘定も割り勘にしてくれて、自分でタクシー拾って帰ったじゃない。」
「そう、なの?」

 コーヒーを淹れながら後藤は意地悪な笑みを作る。

「なになに、酔うとしのぶさんはどうなっちゃうの?」
「どうもなりません。」

 つん、と答えた所に出動のサイレンが鳴る。しのぶの顔が変わった。

「じゃ忘れて頂戴。昨日は楽しかったわ。」

 あとよろしく、という声を残して慌ただしくドアが閉まる。後藤はコーヒーを持ってのろのろと席に戻った。
 ごん、と机に頭を打ち付ける。

     惚れてるよ、すっかり・・・・・・。

 昨日の今日だろ、とうめく。
 しかしどうやら「しのぶさん」という呼び方はOKらしい。後藤の頭が忙しく働き始めた。
 これが長い苦悩のほんの始まりであることを、後藤はまだ知らない。






 
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