春にして君を
「どうだった?」
隊長室に入った途端、しのぶが顔を上げる。両手を上げ、成果のなかったことを示すと、ため息をついて立ち上がった。コ
ーヒーを淹れてくれるらしい。
このところのレイバー暴走問題は、深刻の一途を極めていた。
警視庁の尽力により、ようやく悪用されたオペレーションソフトが明らかになったが、しのぶと後藤の焦燥は消えるどころか
募る一方である。二人が今すぐにでも知りたいのは、悪用したテロ犯が誰か、ではなく、そのソフトがどのレイバーに導入さ
れたか、ということだった。暴れ出す可能性のあるレイバーが分かれば、対策の立てようもある。不眠不休で働き続けてい
る部下たちを思うと、ソフト会社の顧客リストは喉から手が出るほど欲しかったが、上からはなかなかそれが下りてこなか
った。駆除の方法とセットでなければ公表をよしとしない者が、おおかた永田町あたりにいるのだろう。この際、下りてくるの
を待つより横から流してもらった方が早い、と言い出したのは後藤である。
「 どういう人?」
「ん?」
「今日会ったの。後藤さんの元同僚なんでしょう?」
コーヒーを注ぎながらしのぶが尋ねる。少し痩せたんじゃないかなあ、とその背を眺める後藤に、「ほら」とカップを突き出し
た。
「こういう人。」
コーヒーと引き換えに、写真を渡す。
「 若いのね。」
「俺と同期だよ。」
「公安の刑事って、こんなにヘラヘラしてるものなの?」
「いろんなのがいるよ。俺みたいなのもいた訳だし。」
コーヒーを飲みながら、しのぶは思い切り顔をしかめた。さぞかし嫌な職場だと思ったのに違いない。
「やっぱりこの人が例のソフト会社を調べてたの?」
「うん。まだあそこがクロかどうか、分かんないみたいだけどね。」
「じゃあ、リストも・・・・・・、」
首を振り、後藤はコーヒーを飲み干した。
「持ってんだろうけどね。信用されてないんじゃない? 俺。」
茫洋と笑う後藤を眺め、しのぶはため息をついた。
「そうね。」
「あ、ひどいなあ。」
「日頃の行いよ。 ねえ、」
カップを置き、真剣な顔になる。
「私が会って交渉できないかしら。」
「・・・・・・。」
少し考えてから、後藤は答えた。
「ダメ。」
「どうして?」
「どうしても。」
「・・・・・・。」
しのぶはカップを置いた。「信用されてないのね」と背を向ける。腕を取り、引き寄せた。
「ちょ・・・、」
「信用できないのはね、こっち。」
抱きすくめ、しのぶの手から写真をひょいと抜く。
「 離して。」
「賭けてもいいけど、」
背後からしのぶの顔を覗き込み、後藤は言った。
「絶対しのぶさん口説くよ、こいつ。」
「・・・・・・。」
次の瞬間、手の甲に激痛が走り、後藤は悲鳴を上げた。腕の中から抜け出したしのぶが、毅然と顔を上げて言う。
「そんな物好き、後藤さんくらいよ。」
バタン、と閉まるドアを眺め、後藤はつねられた手をさすった。
「そういうのがいいっての、いっぱいいるんだよ・・・・・・。」
出動のサイレンが、ため息を掻き消した。
*
よりによって、こことはね。
インカムを付けながら、後藤はやれやれと首を回した。最近の花見跡というのはずいぶん小綺麗だ。数年前、ここで大捕物
を演じたときは、そこらじゅうゴミだらけだったと思うが。終電時刻をとうに過ぎた上野公園は派手な照明も落とされ、咲き誇
る桜の木々は闇に沈んでいた。それでも、現場の周りには人だかりができている。目の前で繰り広げられる作業機七台の
暴走と、たった今到着したレイバー隊のデッキアップ音がこう喧しくては、ここの住人も酔漢達も、安穏と寝てはいられない
のだろう。
「・・・・・・あんな新しい型まで感染してるのね。」
横に立ち並んだしのぶに、「ねえ」と後藤は同意してみせた。
「この分じゃ、冬に出たばっかの奴なんかもやられちゃってるのかなあ。」
「分からないわ、例のリストがないと。」
「役立たずで申し訳ないねえ。」
息をつき、しのぶは腰に手を当てた。「とにかく 」と顔を上げたとき、
「いよお、ごとやん。」
近づいてきた男をちらと認め、しのぶは唇を引き結んだ。写真の男だ。
「あらら、何やってんのこんなとこで。」
「花見やってたらね。寝ちゃってね。」
大欠伸する半眼の男を、しのぶは半ば呆れて眺めた。もちろんこの男は勤務中だ。これは立派なテロなのだから。大変だ
ねあれ、だの、いやあまあね、だの言っている二人を見交わして、少し驚く。なぜ写真を見た時に気づかなかったのだろう。
そっくりじゃないの、この二人。
ばさばさの髪も、小柄で童顔なところも、男はまるで後藤と似ていなかったが、醸す空気が同じだった。なんと言うか、こう、
インチキくさいのだ。
「南雲さん、ですよね。」
ひょいと男がこちらを向く。
「南雲です。・・・はじめまして・・・、」
だったと思うんですが、という視線を送る。男が笑った。
「はじめまして、ですがね。お噂は色々と、」
「こちら磯野さんね。公安一課の。ね。」
後藤が割って入る。明らかに挙動がおかしいのは大して気にならなかった。どうせろくでもない「お噂」だろう。それより、
「ちょうどよかったわ。 磯野さん、」
好機を捕らえようとしたしのぶの言葉は、派手な破壊音に遮られた。火柱が頬を照らすと同時に、インカムに声が飛び込ん
でくる。
「隊長、準備できました!」
仕方がない。目で暇を告げ立ち去る磯野の背を見送りながら、しのぶは手短かに指示を出した。
男が踵を返す直前、微かに残した鋭い視線まで、似ていると思った。
*
感染ソフトと相性がいいのか悪いのか、レイバーの暴走ぶりはひどく変則的だった。思いもよらぬ動きを見せる暴走機を相
手に悪戦苦闘しながらも、隊員達は着実に一機一機沈めてゆく。残り二機。ようやく息をつき、しのぶは隣の男を仰ぎ見た。
「新型にも一応対応できそうね。」
「・・・・・・。」
後藤はあさっての方角を見ている。視線の先を追うと、公園の外れ、既に動きを止めた一機の方へ駆けて行く男が見えた。
磯野だ。
「お仕事お疲れさまだねえ。」
「いいの? あんな 、」
のんきな声を咎めようとした、その時。
磯野が近づいたレイバーから、聞き慣れない電子音が上がった。後藤が突然、インカムをむしり取る。
「磯野! 離れろ!!!」
吠えるような声と、レイバーの腕がゴゥン、と振り上げられるのが同時だった。
まともに直撃を受けへし折られた桜の木が、磯野のいる方へなぎ倒される。
「
後藤さん!」
「各機、聞け。暴走機は再起動するぞ。腰部の基盤を全部潰せ。」
いつの間にか再び着けたインカムに向かい、後藤は最短の指示を出した。倒れた桜の方を振り仰ぎ、一秒迷ってから、し
のぶも指揮官の声を出す。
「一号機、そのまま暴走機の停止にあたれ。二号機は、いま倒れた桜の・・・・・・、」
「駄目だ。」
「後藤さん!」
噛み付くしのぶのマイクを抑え、後藤は無表情に言った。
「スピード勝負だ。今すぐ停めないと二ラウンド目に突入する。数も性能もこっちが不利だ。陣形を崩すのはまずいよ。」
「でも、磯野さんが・・・・・・!」
「死にゃしない。ほら、言ってるそばからゾンビが起き上がって来たぞ。」
「!」
レイバー隊の足元で、活動を停止したはずの六機が頭をもたげ始める。く、と言葉を飲み、しのぶはマイクに向かって低く
告げた。
「一号機二号機、陣形を崩すな。足元の六機を速やかに停止させろ。」
突風が巻き起こる。乱れ交うレイバーのライトが、夜の花吹雪をでたらめに照らした。
*
「よさそうじゃない、具合。」
病室の入口から声をかけた。パジャマの男が新聞から顔を上げ、「よお、来たな」と笑う。
「どこがよさそうだよ。パジャマん中ぁ包帯だらけだ。」
「死んだかと思ったよ。」
「いやなかなか死なないもんだねえ、人間てのは。」
人ごとのように磯野は言う。何か飲むかと聞くと、冷蔵庫に茶があると答えた。冷えた茶の缶を2本出し、磯野の分のプルタ
ブを開けてベッドテーブルに置いてやる。
「 あばら?」
「と、肩。全治2ヶ月だと。」
「悪かったね。すぐ助けてやれなくて。」
「よく言うよ。」
男が笑う。後藤も笑った。
「ついさっき来たぜ、彼女。」
「誰?」
笑ったまま聞き返す。
「南雲さん。」
「・・・・・・。」
まだ笑ったまま絶句している後藤に、磯野は「なんて顔してんの」と苦笑した。
「・・・あそーお。来ちゃった。」
「うん。見舞いっていうよりはありゃ、懺悔だな。聞き役の人選がおかしいよ。」
笑いながら缶を取る。
「 あんたに敵わないって、言ってたよ。」
一口飲んでから、語り出した。
*
「 助けようと思ったんです、一瞬。」
持って来た花を活けながら、しのぶがぽつりと言う。頑なな背中は何者をも寄せつけず、なるほど聞いたとおりの人だと磯
野は思った。ペットボトルを半分に切っただけの不細工な花器を、女はサイドテーブルに置く。
「でも、後藤さんに止められました。」
「でしょうねえ。」
間延びした返事にしのぶが振り返る。何か言いかけてやめ、それから、「・・・そうです」と肩を落とした。
「彼の判断は最善でした。あそこでバラけるべきではなかった。 それより何より、彼は私を諌めたんだと思います。」
「諌めた?」
「 そういう取引は無駄だと。」
「・・・・・・ああ、なるほど。」
「ごめんなさい。」
深々と頭を下げ、しのぶが磯野の目をまっすぐに見る。
「 あなたを助ければ、欲しいものが手に入ると思いました。」
「・・・・・・。」
磯野は笑って首を振った。
「それでわざわざ、ここに?」
「謝りたかったんです。勝手な話ですけど。」
「ほんっとに真面目なんですねえ。」
「・・・・・・。」
微かに眉をくもらせ、「聞いてもいいかしら」としのぶは呟いた。
「何です?」
「後藤さんは私のことを、何て?」
「はは。・・・内緒ですよ。」
笑って前置きし、磯野は指を折った。
「ええと・・・、頑固で、まっすぐで、融通が利かなくて、真面目で、勇ましくて、あとなんだ、男みたい、だったかな。」
指を一つ折るごとに、しのぶの眉間が険しくなってゆく。
「怒らないでくださいよ。」
「怒ってません! ・・・いえ。」
一瞬覗かせた感情を、女はすぐに納めてしまった。磯野は少し残念に思う。
「 後藤さんの言うとおりだわ。要するに幅がないのね。そのくせ甘っちょろい。」
「厳しいなあ。」
「厳しくもなります。いつも隣に後藤さんがいるんですよ。」
「・・・同情しますよ、いろんな意味で。」
「・・・これじゃ、いつまでたってもあの人に、」
私はかなわない、としのぶは呟いた。
「・・・・・・いい女だって。」
「ええ?」
顔を上げるしのぶに、磯野はにっこり笑った。
「忘れてました、一つ。いい女だって。言ってましたよ、あいつ。」
「・・・・・・。」
しのぶは黙っている。覗き込むようにして、磯野は言った。
「俺も、そう思いますよ。」
*
「 そういう訳で、渡しといたから。リスト。」
「・・・・・・。」
磯野の話を聞いているのかいないのか、ペットボトルの花をぼうっと眺めていた後藤は、たっぷり五秒経ってから「へえ!?」
と声を上げた。
「だから、リスト。欲しかったんでしょ。」
「・・・・・・。」
あまりのことに声も出ない。やっとのことで「えーと」と言った。
「『そういう訳で』ってのがよく分かんなかったなあ。」
「まあ、ほだされちゃったんじゃない。」
「・・・・・・。」
だから言わんこっちゃない。胸の内で後藤は頭を抱えた。
「かわいいね、あの人。」
磯野はニヤニヤしている。「言っとくけどね。」と顔を上げた。
「やんないよ、絶対。」
「もう断られたよ。安心しろ。」
「 !」
色を変える後藤を見て、磯野が感心したような声を出す。
「ごとやんもそんな顔するんだなあ。」
「お前ね・・・。」
「仲良くやれよ。」
よろよろと後藤は立ち上がった。
「 帰るわ、俺。」
「おう、ありがとう。南雲さんに『ファンです』って言っといてくれ。」
「絶対言わない。」
笑う磯野を残し、病室を出た。
*
昨夜からの強風は花の位置をすっかり変えていた。病院の玄関前に吹き寄せられた薄紅の絨毯を眺め、後藤ははああ、
と肩を落とす。
まったく、かなわないねえ。
駐車場に向かう。敷地の外れに桜の木が一本立っているのが見えた。もう桜はいいわ、と外しかけた視線が、ある像を捉え
る。
吸い寄せられるように近づいた。
背後の後藤に気づきもせず、しのぶは桜を眺めていた。花のだいぶ落ちた枝からふと視線を下ろし、はああ、とため息をつ
く。
「 奇遇だねえ。」
「!!」
死ぬほど驚いてから、しのぶは振り返った。笑う後藤に「そうね」と答える。動揺を押し隠すようにして、髪に手をやった。
「・・・もう済んだの? お見舞い。」
「うん、いま出て来たとこ。」
「・・・じゃあ、聞いたわよね。」
はいこれ、としのぶがリストを差し出す。
どうも、と言って受け取った。
「お手柄じゃない。どうしてへこんでるの。」
「へこんでなんかいないわ。」
「あそお。・・・じゃあ、俺だけか。」
しのぶが首を傾げる。
「へこんでるの? 後藤さんは。」
「うん。」
「ふうん・・・。」
風が吹いた。
花びらの強襲に身をすくませる。「散っちゃうねえ」と後藤が呟いた。それには答えず、しのぶが呟く。
「・・・・・・私も少し、そうかもしれない。」
「ふうん・・・。」
そのまま二人、桜を眺めた。
「帰りましょうか。」
「ねえ、しのぶさん。」
歩き出す女の手を取った。
「 何か言われた?」
「・・・何かって何よ。」
ぎくりとしのぶは目をそらした。それから、「そうね」と明るい声を出す。
「いろいろ聞いたわよ。昔の武勇伝とか悪さとか・・・、」
不意に抱きすくめられ、しのぶの言葉がくぐもった。
「後藤さ・・・、」
「・・・何か言われた?」
後藤が重ねて問う。腕の中で女は息をついた。
「・・・断ったわよ。」
見上げるしのぶの髪が、風に乱れている。
頬の一房をよけると、女は目を伏せた。
愛しさを込めて、口づけした。
桜が静かに、舞い続けた。
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