リロード





こういう朝を迎えるたびに、もう二度と飲むものかと思う。
胃から込み上げてくるものを抑え、重力が倍かかったような体を引きずりながら、次元は自室のドアを開けた。差し込む朝日
の眩しさが疎ましい。水分だけ補給したらまたすぐ寝るつもりだが、起き上がった途端に頭までがガンガンと疼き始めた。ほと
んどうずくまるようにして、そろそろと廊下を歩く。
玄関のドアが開く音がした。
顔を上げるのも億劫だ。こちらに向かって来る足音だけを聞きながら、次元は歩みを進めた。目の前で止まった裸足の爪先に
向かって「よう」と挨拶する。

「朝業帰りか? 元気でいいな。」
「・・・・・・。」

いつもは律儀に挨拶する足の主の、返事がない。不審よりも今は具合の悪さの方が先に立った。そうだ、と思いつく。ちょうど
いい、水を取ってきてもらえねえか五右ェ門。頼もうとした矢先、

「――― 次元。」
「ん?」

馬鹿に重苦しい声に、つい顔を上げた。ギョッとするほど深刻な表情で侍はそこに立っている。
もしかして、こいつも気分が悪いのか?
引き締まった眉間が、さらに狭くなる。重大な真実を明かすように、侍が固く結んだ口を開いた。

「――― 拙者もだ。」



「何が?」
「―――、」

聞き返されるとは思わなかったらしい。開いた口もそのままに、侍は呆気に取られて次元を見つめた。そんな顔で見られても、
こちらは何だかさっぱり分からない。やっとのことで、侍が「お主・・・」と声を出す。

「――― 覚えておらぬのか、昨夜のことを。」
「昨夜・・・・・・?」

思い出そうとして、瞬時に次元は諦めた。頭の中で鐘や太鼓がガンガン鳴り響いて、とてもじゃないが使いものにならない。

「悪ぃ、さっぱりだ。」
「・・・・・・・・・・・・。」

五右ェ門のこんな変な顔は初めて見た。
怒ったのか笑ったのか安堵したのか分からない。「そ、」と声を出したきりしばらく侍は動かなくなり、ずいぶんたってからようや
く、「そうか」と呟いた。

「何だ、何か大事な話だったか?」
「・・・・・・よい、忘れてくれ。拙者も忘れる。」
「おい、ごえ・・・・・・、」

聞き直す間も与えず五右ェ門は踵を返し、行ってしまった。

「・・・・・・。」

まあいいか。今はこの体をどうにかする方が先だ。
重い脚を動かし、再び次元はキッチンを目指した。



     *



水分を摂り、反射の赴くままバスルームに篭った。胃をからっぽにして再び眠り、目覚めると、ありがたいことに胸やけと頭痛
は消えている。あとはだるいのだけだ。そういえば、と思い出した。このアジトにはうってつけの設備がある。

水のボトルを何本も提げて、サウナの扉を開けた。むわっと熱い空気が押し寄せてくる。ルパン特製のこの小部屋は庭に面し
たガラス張りだった。朝と違って、眩しいのはもう気にならない。窓際の木椅子に腰を下ろし、陽光を思うさま浴びた。冷たい水
でごくごく喉を潤せば、あとは体からいろいろなものが出ていくのを待つだけだ。ボトルを床に置き、背もたれに沿って次元は大
きく伸びをした。

「うーん・・・、」

緩んだ脳裏にふと、五右ェ門の顔が浮かぶ。そうだ、何だったんだあれは。ようやく考える余裕のできた頭を巡らせた。
確か、昨夜、と言っていた。昨夜・・・、昨夜は・・・・・・、
思い出した。ルパンと飲んでいたのだ。
ゆっくりと、次元は記憶を辿り始めた。



     *



「・・・・・・お前も大変だァな。」

人ごとのように言って、ルパンが煙草をくゆらせる。実際ルパンにしてみれば人ごとだ。「るせェ」と返し、次元は空のグラスを
バーテンに振ってみせた。

「不二子ちゃんなんかびっくりしてたぜ、まーだ告ってないのかって。」
「なんであの女が知ってやがんだ。」

気色ばむ次元を「あのよォ」とルパンが呆れ顔で眺める。

「わりっけど、ものすご〜く分かりやすいぜお前? 気づいてないのは当の本人だけだっての。」
「・・・・・・くそ。」
「おもっしろいよなー、五右ェ門。」

感に堪えないという風にルパンは言い、軽く首を回す。

「初めて見たときも、うわーぁこいつおもしれ〜、仲間にしてえって思ったんだよね。」
「あーそうかい。」

素っ気ない相棒を見やるルパンの目が、笑っている。今日はとことんからかうつもりらしい。

「どういうところが好きなの。」
「・・・・・・。」

憮然として、次元は煙草を取り出した。スマートに火を点けるルパンに向かって、煙の塊を吹きつけてやる。

「げーほ、ゲホ、何しやがんだじげ・・・、」
「俺はな、綺麗なもんが嫌いだ。」
「?」

涙目の相棒にお構いなしで、次元は続けた。正直かなり酔っている。いいさ、この際とことんからかわれてやる。

「ゴミ溜めみたいな所で育ってきたからな。綺麗なもんなんて、みんな嘘っぱちだと思ってた。」
「ふーん。」
「だから、あいつ見た時びっくりしたんだ。」
「・・・・・・。」

煙を吐いて、ルパンが先を促す。急に酔いが回ってきた。うなだれた頭に血が集まってくる。こっくり、こっくりと傾きながら、次
元はふにゃふにゃ言った。

「・・・あんな・・・、綺麗で・・・、馬鹿正直とかよ・・・。何だありゃあ・・・・・・。」
「・・・・・・。」

咥えたままだった煙草を、ルパンが次元の口元から取り去る。柔らかな声で相棒は尋ねた。

「びっくりして、それで?」
「分かんね・・・。もう何が何だか分かんね・・・・・・。」
「なるほどねえ。」
「はーくそ・・・・・・、好きだ・・・・・・。」
「大変だねえ。」



     *



――― 何だこの記憶は。最悪じゃねえか。

思い出せば出すほど甦る自分の痴態に、次元は頭を抱えてうずくまった。もう二日酔いどころではない。

――― まてよ。

まだ何か、大事なことがなかったか。
顔を上げ、髭を捻って座り直した。アジトに帰った後あたりがきな臭い。帰ってきて、俺は確かリビングで飲み続けて・・・、い
つの間にかルパンはいなくなってて・・・・・・、そうだ。
気づいたら、五右ェ門が俺の前に立っていたんだ。
もはや次元は必死だった。全神経を集中して、記憶を遡る。



「んぁあ・・・・・・? なんだ、ごえもんじゃねえか。」

侍がどんな顔をしていたかは覚えていない。なにしろ自分はぐでんぐでんだった。

「ちょうどよかった、ここ座れここ。」

ソファの横をポンポンと叩いて促した。侍は確か、おとなしく座った。

「いいかァ? 一度しか・・・、言わねえぞ・・・・・・。」



――― 嘘だろ。



思い出した。
勢いよく立ち上がり、次元はサウナを飛び出した。



     *



もう何時間ここで素振りをしているか、分からない。
陽あたりの良すぎる庭で、五右ェ門は汗にまみれて木刀を振り続けた。
この庭はルパンの作ったサウナに面している。さっき次元が入ってくるのが見えたので、さりげなく死角に移ったところだ。今あ
の男を目にするべきではないと思った。

――― 忘れろ、忘れるのだ。

繰り返し自分に言い聞かせ、腕を振った。昨夜の出来事が浮かんでは消え、また浮かぶ。念仏のように五右ェ門は繰り返す。
あれは何かの間違いだ。あの男もきれいさっぱり忘れていたではないか。
振っても振っても振っても、声が耳から離れない。

好きだァ・・・、五右ェ門・・・・・・。

ぐずぐずの声だった。呂律も回っていなかった。

・・・・・・お主、酔っておるな。

多分、自分はそう言った。はっきりとは覚えていない。頭が爆発しそうだったのだ。

ああ酔ってる。好きだ・・・。
じげ・・・・・・、

腕が伸びてきた。ゆっくり引き寄せられた。

・・・お前・・・、いい匂いすんな・・・。

次元は死ぬほど酒臭かった。

五右ェ門・・・、五右ェ門・・・、



「――― 五右ェ門。」

突然声が耳に触れ、五右ェ門の体はぴたりと止まった。声は真後ろから聞こえた。

「・・・なんだ。」

構えを下げ、簡単に答える。努めて普段どおりの顔で振り返り、そこで五右ェ門は言葉を失った。

「―――、」

サウナが爆発して逃げてきたのか?
次元の頭は濡れてぐしゃぐしゃだった。スラックスと靴だけやっと引っかけてきたらしい。裸の上半身はもちろん濡れて、まだ
湯気が上がっている。

「大丈夫かお主、ど―――、」
「五右ェ門。」

男の震える足が、一歩前へ出た。

「――― さっき何て言った、お前。」
「!」

内臓がふわぁ、と宙に浮いた。

「――― 思い、出したのか。」

声が裏返らないようにするのがやっとだ。男の赤い顔が、さらにぎゅーっと赤くなってゆく。

「・・・・・・『拙者も』って、」
「!」
「『拙者も』って言ったよな、お前。」
「―――、」

血管がどくどく脈打ち始めた。きっと自分もゆでだこみたいになっている。見られぬように顔を背け、からからの口を開いた。

「・・・二度は、言わぬ。」
「・・・・・・!」

男が息を呑む。今ので認めてしまったも同然だ。急に朝の顛末を思い出して、いたたまれなくなった。「お、」と言葉がつっかえ
る。

「お主も言ったのだぞ。一度しか言わぬと。」
「・・・・・・。」

次元が、一歩踏み出した。

「―――、」

後ずさる自分の歩幅より、踏み出す次元の方が大きかった。あっという間に距離を詰められてしまう。目の前まで来て、男は
濡れた頭をバリバリ掻き、はあ〜、とため息をついた。

「――― あと一回だけだからな。」
「・・・・・・!」

硬直している五右ェ門の前で、次元は少し脇を向く。ポケットに手を突っ込んで、意味もなく煙草を出しかけては思い直し、また
ため息をついて頭を掻いた。やがて詫びるようにこちらを見る。

「――― 好きだ。」
「・・・・・・、」
「・・・・・・。」
「・・・・・・、」
「・・・・・・。」

どうしようもない沈黙に、のどかな陽だけが降り注ぐ。靴の爪先で地面をほじくり返し、次元は「くそ」とぼやいた。

「シラフで言う台詞じゃねえな。」
「・・・・・・。」

同意も否定もできず、五右ェ門はただ立ち尽くした。いま何か言うと溢れてしまう。気持ちが顔に出てしまう。甘い、熱い、いや
違う、嬉しい。
――― 嬉しい。
立っているだけで目が回りそうだった。

「――― なんて顔してやがんだ。」

こちらを見て、男は呆れたような声を出した。

「イヤだったのか。」
「嫌では・・・、」
「イヤじゃねえのか。」
「・・・・・・。」
「――― 五右ェ門。」

次元が更に間合いを詰めてくる。ならぬ、もうならぬ。じりじりと後ずさると背中が壁に当たった。耳のすぐ横に手をついて、男
が「頼む」と熱く請う。

「――― もう一回だけ、言ってくれ。」
「・・・・・・、」
「言わねえとキスしちまうぞ。」
「―――!」

そんな無体な話があるか。必死で五右ェ門は口を開いた。声が出てこない。

「せっ、・・・せっ・・・・・・、」

ぱくぱくする口を見つめ、男がたまらないような顔をする。ぐいと顎を掴まれた。

「〜〜〜!」

長いキスだった。初めて重ねた次元の唇はこの上なく優しくて、五右ェ門の想いも魂もみな吸い取ってしまう。もう駄目だ。きっ
ともうもう全部ばれてしまった。
男がやっと唇を離す。壁に手をついたまま、黙って五右ェ門を見つめている。

「・・・・・・。」
「・・・・・・。」

かつて侍は考えたことがあった。この恬淡とした男は、例えば愛する者がいたとして、その相手を見つめるときもやはりこんな
味も素っ気もない表情をしているのだろうかと。
想像すらしなかった。まさかこれほど優しい目を、焦がれたような熱いまなざしを、あの次元大介が浮かべようとは。その視線
がまさか、まさかこの自分に向かって注ぎ込まれようとは。
引き寄せられるように、男の唇が再び近づいてくる。何もかも暴かれてしまう気がして、五右ェ門は虚しい抵抗を試みた。

「ひ、卑怯者、」
「・・・・・・うん?」

ちゅ。

「お主、言わねば、んっ、接吻すると―――、」
「うん、」

ちゅ。

「拙者、いま、いま、言おうと―――、」
「――― 言って、くれるのか。」

少し驚いたような男の声に、顔から火が出る思いだった。もう充分伝わったのに、と次元の目が語っている。そんなに丸出しに
なっているのか自分は。拳を握り、深く息を吸って腹に溜めた。恥ずかしさを追い散らすように、無理やり声を張り上げた。

「拙者も大好きだ、次元!」
「・・・・・・!」
「ずっと以前から、ほ、惚れておった。」

「・・・・・・あ・・・・・・、」

間の抜けた声を出した男が、ふわふわと五右ェ門を抱き寄せる。言うだけ言って脱力してしまった体を、五右ェ門もふにゃりと
預けた。次元は何も言わないが五右ェ門には分かる。男の体中を駆け巡っている甘い喜びが、侍の体をも包んでしまうようだ
った。信じられぬ、とひとりごちる。いま、二人が全く同じ気持ちでいることが、本当に現実とは思えなかった。
五右ェ門の唇を再び求めて、男がもそもそと動く。やはり同じことを考えている。確かめ合うように、二人はキスをした。

「・・・・・・もう絶っっ対、忘れねえ。」
「・・・・・・。」

呟く次元の顔を、侍は見つめた。「よろしく頼むぞ」と言ってやる。

「忘れるたびに言わされたのでは、拙者かなわぬ。」
「大丈夫だ、刻みつけた。今のお前の顔も声も全部、もういつだって思い出せる。」
「――― 今すぐ忘れろ! 次元!」
「いいのか? そしたらまた言ってもらうことになるぜ。」
「〜〜〜〜〜!」

悪い顔になった男が、唇を寄せてくる。噛みついてやると噛み返された。じゃれるようなキスがやがて深い口づけに変わる。ま
るで春の陽に溶けたように、二人はいつまでも抱き合っていた。













ジゲゴエの日おめでとう次元とごえもん(^−^)!
もうこれで何本目のなれそめものか分かりません(^−^)!
いいのだ! なれそめものが好きなのだ(^−^)!
ジゲゴエばんざーい!\(^−^)/




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