昼行灯日記(三)








「昨日、すんませんした。」
「んあぁ?」

 風の涼しい、秋晴れの午後だった。並んで歩く遊馬に突然詫びられ、喜一はあくびしかけたまま返事を
返す。

「何も知らずに家寄っちゃって。奥さんの顔付き変わったから慌てて出て来たんすけど、後でおのあに怒
られましたよ。」
「へえ。会ってんの。」
「いや、たまたまですよ、偶然会って・・・・・・!」
「隠すことないのに。いい子じゃない、おのあちゃん。」
「そらまあ・・・・・・、じゃなくて!大丈夫でした?あの後しのぶさん。」

 喜一はにやりと笑った。

「意外と心広いんだよ?俺の奥さん。」
「はあ。」
「いろいろ気ぃつかわせて悪かったな。」
「いえ、でも言ってくれれば俺が見張りくらい行ったのに・・・・・・。」
「見たかったの。俺が。」

 喜一はこきこきと首を鳴らした。

「で、どうでした?」
「そうだなあ。なんだか楽しそうだったよ。」

 喜一の言葉に遊馬は目の色を変えた。

「冗談じゃないですよ!面白半分の奴らに俺達振り回されてるんですか!」
「そういうのも含めて楽しんでるフシはあるなあ。それだけかどうかは分からんがね。」
「くそー、許せんな。」
「許す気はないよ。」

 声が少し変わった気がして、遊馬は喜一を振り仰いだ。喜一は相変わらずあくびを連発している。

「それで?そっちの張り込みはどうなの。」
「それがですね。」

 声を落とす遊馬を突然目で制して、喜一は茶店にすっと入って行く。何があるのかと見守っていると、

「おばちゃん、団子二つね。」

 間のびした声が中から聞こえ、遊馬は内心ずっこけた。慌てて店に入り、茶をすする喜一に向かって
身を乗り出す。

「あのですね、内海屋ですけど、舶来ものの商人や蘭方医がやたら出入りしてるんですよ。」
「ふーん?」
「でも店先にそれらしいものは並んでないし、病人が出たなんて話もないんです。」
「そりゃおもしろいねえ。」
「これは推測ですけど、奴ら盗んだ掛け軸やら壷やらを異国に売り飛ばしてるんじゃないですかね。」
「ふーん。でもそれでしょっぴくには現場押さえるしかないなあ。」
「そもそも異国との取引が禁止されてるのに、そんな連中がうろうろしてるってだけで怪しいじゃないです
か。」
「それだけなら言い訳のしかたはいくらでもあるよ。それに・・・・・・、」
「それに?」
「なんでわざわざ異国に売るんだろう。異国相手じゃだいぶ買いたたかれるらしいよ。」
「む・・・・・・。」
「やっぱなんかあんのかなあ。他に。」
「他にって・・・・・・、何ですか?」
「何だろうね。団子、食わないの?」
「あ、いただきます・・・・・・。」

 腑に落ちない顔で団子をぱくつく遊馬を尻目に、喜一は茶をゆっくりすすった。

「おもしろい話だったよ。ご苦労だがもうしばらく張ってくれや。」
「はあ。」

 ぽん、と肩をたたいて出て行く喜一の目にある光が宿っていることに、遊馬は気づかなかった。



     *



「あら。」
「あれ。」

 二人は道端で同時に声を上げた。

「どうしたの、しのぶさん?」
「佐久間先生の所にお届けものしてきたの。」
「小柄のお礼に?」

 喜一の問いにしのぶは目をくるっと動かす。

「そんなところかしらね。」
「あ、やだなあ。またなんか物騒な新作仕入れてきた?」
「人聞きが悪いわね。先生の作った護身用防具を試すお手伝いしてるだけよ。」

 防具、ねえ・・・・・・。と喜一はひとりごちる。

「なにかおっしゃって?」
「いーえ、なんにも。」

 辺りは暗くなりかけていた。金木犀と煙の匂いがする。

「なにかいいことあったのね?」
「ん?どうして?」
「なんだか嬉しそうだもの。」
「そうお?」
「そうよ。」

 かなわないねえ、と肩をそびやかして喜一は歩く。しのぶもそれ以上は聞かず、しばらく二人は黙って
歩いた。

 家々に明かりが灯り始める。
 ふいに二人の足が止まった。

「・・・・・・あなた。」
「・・・・・・うん。」

 二人は道の両脇に飛びすさった。軒を背にして向かい合った二人の間に、黒ずくめの男達がばらばら
っと並ぶ。五人、いや六人か。

「どちらさまで?」

 喜一が問いかけるのと、男達が飛びかかるのと同時だった。
 ガチッと火花が散り、黒ずくめの刀が折れて後方へ飛ぶ。
 抜いた白刃をすっと正眼に戻し、喜一は低い声で言った。

「・・・・・・怪我させないの、難しいからね。」

 全く肩に力の入っていない構えから、何か見えない恐ろしいものがゆらりと立ちのぼる。思わず男達が
後ずさった。
 瞬間、ごすっ、と音がして後ろを向いていた一人が崩れ落ちた。向こうに、何やら妙な代物を構えたし
のぶが見える。
 男達が後ろに気を取られた刹那、喜一から白い光が閃いた。ぞばっという音と共に二人が倒れ、呻き
声が上がる。
 背中を合わせた二人の黒ずくめが残った。恐怖に肩で息をしながら、喜一としのぶを交互に見やって
いる。喜一が一歩踏み出すと、突然、奇声を上げて二人はしのぶに飛びかかった。

     しまった!

 喜一は全身が凍りつくのを感じた。
 持っていた刀をぶん、と投げる。ぎゃっ、と声がして一人が倒れた。

     間に合わない!

「しのぶッ!」

 喜一が叫んだのと同時に、しのぶに飛びかかろうとしていた最後の一人の動きが止まった。そのまま
膝から崩れ落ちて行く。

「・・・・・・?」

 倒れた男の向こうにしのぶが立っていた。

「ありがとう、あなた。」
「・・・・・・。」
「一人片づけてくれて。でも、後は私一人で十分・・・・・・、」

 言葉が途切れる。
 駆け寄った喜一にきつく抱き締められ、しのぶはもがいた。ちょっと、とか、あなた、というくぐもった声を、
喜一は目をつむって聞いている。
 やっと解放されてしのぶは大きく息をついた。

「もう!なによ急に・・・・・・、」
「いや〜、強いね〜しのぶさん。俺びっくりしちゃったよ。」

 喜一はいつもの調子に戻っている。しのぶは手にしていた道具を見せた。

「これよ。」
「・・・・・・なるほどね。」

 木の枝を利用したパチンコだった。転がっている玉は鉄製のようだ。これを至近距離で浴びてはたまら
ないだろう。

「佐久間にまた借りができちゃったなあ。」
「そうね。それよりこの連中、昨日言ってた・・・・・・?」
「そうだろうね。俺が見た連中とは違うようだけど。ご丁寧な挨拶返しだこと。」
「どうするの?」
「とりあえず、遊馬達を呼ぶよ。多分こいつらは何も聞かされてないだろうけどね。しのぶさん、待っててく
れる?俺一人じゃ怖くってさ。」

 おどけた口調だが、自分を一人で帰したくないのだろう。しのぶは微笑んだ。

「いいわよ、一緒に帰ってあげる。」

 遠くから提灯の灯りが近づいてきた。






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