花を愛でる








テラスはすっかり宴の場と化していた。
何もかもが浮き上がるような春の陽差しの中、侍がとろんとした目をこちらに向ける。

「お主もやるか。」

床に広げられた皿の数々を、次元は半ば呆れて見下ろした。風流を味わい尽くすための努力には心底感心するが、結果と
してこれは風流なのか。並んだ酒菜や徳利を踏まないよう気をつけながら、侍の横にそろそろと座った。

「どうだ、たいしたものだろう。」

盃を次元に渡し、桜の方へ顎をしゃくって、侍が得意げに胸を張る。酒菜を一通り眺め渡し、酒を注ぐ侍の赤い顔を見つめ
てから、次元は万感の思いを込めて「そうだな」と答えた。

まあ、確かに桜も見事だ。

咲き乱れる花にたわむ枝は折り重なって、二階のテラスに覆いかぶさらんばかりだった。咲く花の薄紅色を、のどかな光が
照らしている。時折吹く柔らかな風が、薄く霞んだ空の青と花の色を入り混じらせて、夢のような残像を瞼に残した。
柄にもなく見とれてから、次元は視線を元に戻した。侍は微かに唇を開き、飽きもせず花を眺めている。

「ほんと好きだな、桜。」

声を掛けると、ようやくこちらを向いた。酔いに揺られて、ふうわりと言う。

「うむ。武士の心だ。」
「そのままだな。」

思わず笑った。

「潔いのがいいってか。」

軽い揶揄を気にするでもなく、侍は柱に身をもたせかけた。「では聞くが」と徳利を差し向けてくる。

「お主の好きな花は何だ。」
「花ァ?」

盃を受け、つと考えたが思いつかない。

「特にねえな。だいたい花なんかとは無縁の人生だ。」
「そうでもなかろう。」

切り干し大根をつまみ始める次元を、侍がちろん、と見やる。

「昨日、道端にしゃがんで何やら仔細に眺めておったではないか。何だ。たんぽぽだったか。」
「ありゃあお前、」

弾かれたように顔を上げ、次元は口ごもった。

「ありゃ違う。」
「何が違うのだ。」
「お、うまいなこのさつま揚げ。」
「次元。」

笑みを含んで侍が促す。もぐもぐやる次元の顔が膨れっ面に変わり、とうとう何か言った。

「・・・・・・しだ。」
「何?」
「てんとう虫だ。止まってたんだ。花に。」
「・・・・・・。」

一瞬の間を置いて、侍が笑い出す。

「本当に好きだなお主、てんとう虫が。」
「ふん。」

鼻を鳴らし、次元は帽子を押し下げた。お前の桜だっておんなじようなもんじゃねえか。
酔った侍の笑いはなかなか止まらない。

春の陽が輝きを増した。
桜の色がまた変わった。



     *



傾けた徳利から、最後の雫が落ちる。

「終わりか。      新しいのを、」

柱から身を起こす侍をとどめ、次元は立ち上がった。

「座ってろ。お前もう足元あぶねえだろ。」

そんなヤワではない、と答える声がなんだかふにゃふにゃしている。肩をすくめ、キッチンに向かった。
ぬる燗と常温のを一本ずつ提げて戻る途中、次元はふと足を止めた。テラスの方から、歌声が聞こえてくる。

      君がみ胸に 抱かれて聞くは・・・・・・

侍の歌は初めて聞いた。
案外いい声だ。古い歌謡曲は朗々と春の風に乗り、光に溶けて消えてゆく。テラスの入口近く、柱の陰に突っ立って次元は
それを聞いた。
歌が、突然やんだ。
テラスを覗き込むと、五右ェ門がこちらを睨んでいる。今ごろ気づいたらしい。

「拍手してやりてえんだが、あいにく手が塞がっててな。」
「いらぬ。」

バツが悪そうに、侍は徳利を引き取った。よいしょ、と次元が隣に座る。

「中国の歌だったか。」
「西條八十だ。」
「へえ。もう一回頼むぜ。」
「断る。」

澄ました顔で侍は手酌している。ちぇ、と呟き、皿を脇に寄せた。空いたスペースにごろりと横になる。目を瞑り、深呼吸した。

「・・・・・・匂いすんだな、桜って。」
「・・・・・・。」

確かめているらしい、侍は少し沈黙した。瞼の裏に浮かぶ花の残像を追っていると、とろとろとした眠気に誘われる。
侍の声がした。

      そうだな。」

ぬるい風が頬を撫でた。
木々のざわめきが潮のように、耳に満ちては引いていく。

      髪に飾ろか 接吻しよか・・・・・・

閉ざされかけた意識の底で、侍の歌がまた聞こえてくる。
穏やかな声はたなびいて、どこか遠くで夢のように響いた。



     *



突然の風に、次元は目を覚ました。
いつの間にか気温は上がって、暑いくらいの陽気になっていた。風が押し流してしまったのだろう、先刻まで霞みがかって
いた空には雲一つなく、目の覚めるような青の中、太陽だけがビカビカと照っている。
突風がまた吹いた。
荒れ狂う光と花の洪水に、目を開けていられない。仰向けのままそれをやり過ごし、風が収まってからようやく次元は顔を
上げた。

五右ェ門は、手すりの前に立っていた。

ぴくりとも動かない侍の、黒髪だけが揺れている。吹雪の余韻が、着物についた花弁をはらはらと落とした。憑かれたように
花を見つめる横顔は彫像のように美しく、この世のものでない何かを連想させる。薄目で次元はそれを眺め、それから気づ
いた。
侍は、花を見ていない。
食い入るような視線は必死で、その実どこか虚ろだった。何かを探している目だ。不意に、ある考えが次元の頭をよぎった。

      行ってしまう。

思わず侍の手を取った。

「あ・・・・・・?」

我に返ったらしい。五右ェ門はびくっと体を震わせ、それからゆっくりと頭を巡らした。寝転がったまま手を掴む次元を見下
ろす。まださまようような侍の視線を捉え、次元は笑った。

「戻ってきたか。」
「・・・・・・うむ。」

侍も、少し笑った。
握った手を支えに、次元がよいしょと起き上がる。胡座を掻き、もう片方の腕だけで伸びをする男を、侍はじっと見つめた。
「ちょうどこんな時だ」と口を開く。

      この世の凄いものに触れたような時。・・・・・・お主にはないか? 心が開け放たれ、森羅万象を超えられそうにな
る瞬間が。」
「ねえ。」
「そうか。」

侍が笑う。片手を繋いだまま、次元は侍を見上げ尋ねた。

「どんな感じだ、そういうのは。」
「そうだな、」

次元を見つめ、侍が答える。

「何でもできる気がする。」
「ふーん。」
「だが、ひどく空虚だ。」
「空虚?」
「うむ。そういう時、拙者は全てと繋がっており、同時にどこにもおらぬのだ。」
「・・・・・・さっぱり分からねえ。」
「だろうな。拙者にもよく分からん。」

笑う侍の手を、次元はそっと離した。腰に腕を回し、ひざまずいたまま抱き締める。侍はじっとしていた。

「・・・・・・どっか行ったりすんなよ。」

なぜだか、泣きそうな声が出た。
侍が頭を撫ぜる。囁くような声が聞こえた。


「・・・・・・お主が、繋いでいろ。」


見上げると、かがもうとする侍と目が合った。

黒髪から花弁が一枚、ひらりと落ちる。

侍より一秒先に、その花が唇に触れた。


















飲んでだべって転がってるだけ(^−^)。そういうのが書いてみたかったのです。
春の歌では、蘇州夜曲が一番好きです。桜を歌ってる歌じゃないんだけど。すごい名曲だと思います。




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