イブ
灰色の空に、ちらちらと白いものが混じり始めた。見上げる五右ェ門の背後から、窓を叩く音がする。
「ひぇー、さみい!」
車のドアを開けてやると、カップめんの湯気と共に男の悲鳴が飛び込んできた。後部座席の五右ェ門に容器を二つ預け、
男は運転席に乗り込む。座席に落ち着くのを待ってから、ポークチャウダーヌードルなるものを渡してやった。五右ェ門の分
はもちろん、ジャパニーズSOBAだ。
「降ってきたな。」
「まったく、勘弁して欲しいぜ。」
帽子の雪を払い、次元はフロントガラスを恨めしげに睨めつけた。目の前を、真っ赤な服に白髭をたくわえた老人がのんび
りと横切って行く。100エーカーはありそうな巨大ショッピングモールの倉庫裏は普段ならほとんど人気がないのだろうが、
今日は別だ。大きな袋を提げたカップルやカートを押す家族連れが、さっきからひっきりなしに通り過ぎてゆく。次元がつけ
たラジオから流れてくるのも、鈴の音がやかましい定番曲ばかりだった。
「なんかやってねえのか、他に。」
フォークをくわえチューナーをいじる男の背を、五右ェ門は黙って見つめた。
きっと、気のせいだと思う。
男の後ろ髪が少し揺れて跳ねる。たったそれだけで、胸の奥がきゅう、と音を立てる。二人で待機なんてざらなのに、最近、
自分は何か変だ。
きっと気のせいだ。さもなくば街の浮かれた空気のせいだ。そうだ、クリスマスとやらのせいだ。
ラジオを諦め、次元は麺をすすり始めた。こちらを振り返り無邪気に問う。
「食わねえのか? 三分たってるぜ。」
「・・・・・・、」
急に、振り返るな。
「食う」と呟き蓋をめくった。俯いた顔を、湯気の塊が襲った。
*
「さて、と。」
平らげた空の容器を放り、次元は地図を引っ張り出した。逃走経路は頭に入っているが、一つ確認したいことがある。ちょう
ど食べ終えたらしい五右ェ門に「なあ」と声を掛けた。
「さっき思ったんだがな、こっちの道通った方が早くねえか?」
「 どれ。」
容器をきちんと袋にしまい、五右ェ門が後部席から地図を眺めた。次元の指す箇所を見て「ふむ」と口元に手をやる。
「 その先は工事中ではなかったか?」
「ここか?」
「いや、もっと先だ。」
次元のシートに手をかけ、五右ェ門が身を乗り出した。
!
次元の心臓が、一つ跳ねた。
落ち着けと自分に言い聞かせる。侍は気づいてないはずだ。
「その、Y字路の、」
狭いシートの隙間から腕を伸ばし、侍が窮屈そうに指南する。次元の肩に長い髪がかかった。無防備な首から、男の匂い
がふわりと上がる。
くそ、油断してた・・・・・・。
自覚したのはつい最近だった。それからはなるべく侍に接近しないようにしていたのに。
「・・・・・・その小道が、確か階段になっていて・・・・・・、」
届かない地図に向かって、侍は腕を泳がせる。上の空で「ここか?」と次元は一箇所を指した。
「違う、もう一本脇の 、」
「五右ェ門。」
「何だ。」
「前来いよ。」
「・・・・・・。」
急に黙った侍が、「そうだな」と呟く。言ってしまってから次元は後悔した。転がした容器を片づけながら、いや、何もやましい
ことなんかねえぞ、とひとりごちる。助手席に移った五右ェ門に地図の端を渡し、なるべく快活に尋ねた。
「 で、どこが階段だって?」
「ここだ。かなり狭かったはずだ。」
「好都合じゃねえか。ここさえ抜けりゃあ・・・・・・、」
なぜだ。
話し合いながら、次元は自分に問い続けていた。顔を寄せ合って喋る、ただそれだけで、なぜこんな気持ちになっちまうん
だ。
考えたり笑ったりしてみせながら、次元は、ずっと別のことを考えていた。
*
雪はちらちらと舞い続ける。ルパンはまだ戻って来なかった。
「・・・・・・これが終わったら、どうするのだ。」
黙って目を瞑っていた侍が、不意に口を開いた。「さあな」と答え、次元は吸い殻を灰皿に押し付ける。
「ノープランだ。フロリダにでも行くか。地中海でもいい。とにかくあったかいとこだ。」
お前は?と言いかけて、聞く前に気づいた。
「日本か、正月は。」
「うむ。」
それで会話は終わった。
舞う雪の量が、少し増えたらしい。行き交う人々の足もだんだん早くなってきた。
「・・・・・・おせえな、ルパン。」
シートにもたれ、次元は大きな伸びをした。五右ェ門がぼそっと言う。
「 一緒に、ゆくか?」
「ん?」
ルパンの所にか? それは必要ないだろうと思った。
「ここで待ってりゃいいさ。じきに戻ってくる。」
「あ、いや 、」
侍は言い淀んでいる。それでやっと気がついた。
「もしかして・・・・・・、日本にか?」
「言ってみただけだ。」
侍は向こうを向いている。何と言っていいか分からなかった。沈黙している次元に、侍がとりなすように言う。
「行くところがないなら、と思ったのだ。嫌ならよい。特に暖かくもないしな。」
「・・・・・・。」
向こうを向いたまま喋り続ける侍を見ながら、次元は考えていた。
気のせいだろうか、侍の声がうわずって聞こえるのは。黒髪の間から見えるすっとした頬が、少し赤いように見えるのは。
「積もるな、これは」と五右ェ門が話題を変える。
「まあよいか。いい目眩ましに・・・・・・、」
「五右ェ門。」
「 、」
努めて気楽そうな声で、次元は言った。
「行くか、一緒に。」
「・・・・・・、」
侍が思わずこちらを見る。その瞬間、次元は確信した。
気のせいなんかじゃねえ。
真っ赤な侍の顔を、まともに見ていられなかった。思わず目を伏せた次元につられるように、五右ェ門も向こうを向いてしま
う。
「・・・・・・好きにしろ。」
とだけ、侍は言った。
雪はしんしんと降り続ける。
「 しかしおせえな、ルパンは。」
「うむ。」
ボリュームを絞ったカーラジオから、また聞き慣れた曲が流れ始めた。
二人は既に気づいている。
これは気のせいでも、クリスマスのせいでもない。
悪ぃな、ルパン、と次元は胸の内で詫びた。もうちょっとだけ、てこずっててくれ。
たぶん侍も、そう思っている。
もうちょっと、もうちょっとだけ、この時間が続けばいい。
降りしきる雪が、フロントガラスを覆い始めた。
ルパン携帯公式のイラストに、次元と五右ェ門が車の中でカップめんをすすりながら待機してる図がありましたね。
あれはとっても示唆に富んでいたと思うのです(^−^)。
二人の関係もまだ前夜=イブってことで。
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