クレイジー・サマー

                                              漢侍受祭 お題「触」







 コートダジュール、夏の19時は、ほとんど昼みたいなものだ。

 日は傾きかけていたが、日没にはまだかなり時間があった。地中海独特の甘い香りをはらむ潮風と、も
う笑うしかないような強い光を受けて、車は走り続ける。オープンカーを走らせるなら、世界中で今ほどい
い時間、ここほどいい場所もないだろう。
 これで隣の侍が同じ感慨を抱いてくれていれば、言うことはなかったのだが。

 ちらっと横を見やり、次元は口を開いた。

「・・・・・・まだ怒ってんのか。」
「怒ってなどおらぬ。」

 さらりと静かな声で、五右ェ門が答える。
 めちゃくちゃ怒ってんじゃねえか。
 緩やかなカーブに沿ってハンドルを切りながら、次元は内心ため息をついた。

 1人でやると五右ェ門は言った。
 恩人の仇を討つのに、助けを拒む気持ちはよく分かった。銃器に囲まれようがふん縛られようが、窮す
るようなタマでもない。
 ただ、人質に取られた恩人の息子を目にした時は、ちっとばかし困った顔をしなかったか。

「・・・・・・たった1発撃っただけじゃねえか。」
「次元、拙者は怒っておらぬ。」
「・・・・・・。」

 平行線の会話に匙を投げ、次元はラジオのスイッチを入れた。馬鹿みたいに明るい男女の歌が2人の
間をすり抜けて、輝く海へ流れてゆく。ひたすら真っすぐ伸びる道路も、抜けるような空も海も雲もみな美
しいだけで、今の2人の役には立ちそうもなかった。
 バックミラーの中の侍は、腕組みしたまま顔を海に向け、風を受け流している。

 怖いのだろうと次元は思った。

 この侍は恐れている。
 合わせた背中の居心地の良さを。寄り掛かり、恃み合うことの危うさを。

 だけどよ、五右ェ門。

 前方に赤いものを認め、次元の思考はそこで中断した。手を振る男が誰だか、遠くからでもすぐ判る。
滑らかに停止した車の横で、ルパンは「いよお、お疲れさん♪」とウインクしてみせた。

「何しに来た。」
「つ〜れないねえ。心配して来てやったんじゃないの。」

 ひらり、と後部座席に乗り込む。

「どうよ、うまく行ったのか?」
「あと一仕事だ。」

 五右ェ門が答えた。

「あら、まだ何かあんの?」
「・・・・・・ああ。」

 スチャ。

 全く同時に、3人は動いた。
 次元にワルサーを突き付けたルパンが、マグナムを突っ込まれた口から呻きを漏らす。喉元に光る斬
鉄剣が、その呻きすら止めた。

「・・・・・・お前さんだよ。」

 ガチャリと落ちたワルサーを、面倒臭そうに次元が拾う。
 降りろ、と五右ェ門が短く告げた。

「ひょ・・・・・・、ひょっほまっへくえ、おえは・・・・・・、」

 音もなく剣先が動き、男の頬を削いだ。

 ベロン、とはがれた樹脂マスクの下から、浅黒い肌が覗く。一滴の血も流すことなく、変わりにどっと汗
を吹き出させて、男は死んだように黙った。「よいか、」と侍が口を開く。

「・・・・・・拙者は今すこぶる機嫌が悪い。二度は言わん。」

 震える手で、男がドアを開けた。
 車を降りた途端、チン、と鞘の音がする。花が散るように衣服が落ち、三秒の沈黙の後、男はへなへな
と地に尻をついた。「夏でよかったな」と次元が声をかける。引き付けを起こしたように、男はフガフガ言っ
た。

「な、なんで・・・・・・、」
「分かったかって? そりゃ簡単さ。」

 次元が後を引き取った。

「ルパンが俺達の心配なんかするかよ。百年たったらまた来るんだな。」

 真っ裸の男をそのままにして、エンジン音も高らかに、車は滑り出す。

「・・・・・・何が怒っておらぬ、だよ。パンツくらい残してやれ。」
「・・・・・・そうだな。」

 短い返事に少しだけ、柔らかいものが混じった。

「ありがとよ。」
「・・・・・・お主1人でやれたことだ。」

 余計なことをした、と呟いて五右ェ門はまた海を見る。

 地中海に落ちる陽が、今日この世で一番の輝きを放った。
 光の帯は海を伝って、ちっぽけな自分たちのすべてを照らす。憧れるように身を乗り出して、侍は落日
を見つめ続けた。強く美しくひとり輝くものに焦がれているのなら、いまこいつは限りなくその近くにいるの
に、と次元は思う。

「・・・・・・なあ五右ェ門、俺は誓うぜ。」

 何だ突然、と侍が振り返る。

「俺はお前のために生きたりしねえ。」
「・・・・・・。」

 無言で侍が先を促す。「実を言うとな」と次元は笑った。

「俺が今日来たのは、お前を助けるためじゃねえ。終わった後の帰り道を、こうして一緒に楽しむためだ。」

 呆れたように五右ェ門は次元を見た。

「・・・・・・勝手な奴だ。」
「そうだな。」

 次元が笑う。

「だからお前も好きにすりゃいい。」
「・・・・・・。」
「互いに勝手やってりゃあ、たまに背中が合うことくらいあるだろ。」
「・・・・・・。」

 黙っていた侍が、不意に「次元」と口を開く。「何だ」と答えるより先に、次元の視界が塞がった。

「!?」

 動揺はそのままハンドルに伝わり、車は右に左に揺れ動いた。やっと急ブレーキを踏んだ次元の唇を、
まだ侍は吸っている。

「・・・・・・何すんだいきなり!」

 引きはがしハアハアと肩で息をする次元を、侍は不満そうに眺めた。

「好きにしろと言ったではないか。」
「お前なあ!」

 噛み付かんばかりの勢いが、再び接吻に封じ込められる。五右ェ門の舌が先に入って来たのはこれが
初めてで、怒りも忘れて次元は素直に感動した。遠慮なく引き込んで裏側をなぞると、侍の舌は悦ぶよう
に暴れて口蓋を引っ掻き回す。黒髪に手を突っ込み、背中を抱いて没入する次元を、今度は侍が引きは
がした。

「・・・・・・次元、」

 荒い息を吐く男の髭についた唾液を舐め、五右ェ門が呟く。

「惚れ直したぞ。」
「・・・・・・。」

 突然、次元がハンドルに向かい、アクセルを踏んだ。
 バランスを崩した侍が「どうした」と問う。

「決まってんだろ。好きなことしに行くんだよ。」

 五右ェ門がくっ、と笑った。

「付き合おう。」
「当たり前だ。」

 まったく、とボヤく次元のそこに、侍の目がとまる。

「お主、もうそんなにしているのか。」
「ああそうだよ。誰のせいだと思ってやがんだ。」
「抜いてやろうか。」
「やめろ! 今は命に関わる。」
「そうか。」

 好きにしろと言った言葉を、もう次元は後悔し始めていた。

 車が夕日に溶けて消えた。












侍祭最終投稿作品だったので、エピローグっぽい感じで。
なんとなく、イタリアからフランスに入って西へ向かっているイメージで書いていたのですが、よく考えたら
左ハンドルでゴエが海側にいる訳だから、フランスからイタリアへ走ってなければならん訳です。右側走
行だからその方が海が近くていいか。どっちにしろ、作品の内容にはまったく影響ないのですが(^−^)。
タイトルはキリンジの歌からパクってやりました(^−^)。






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