チャージャー
漢侍受祭 お題「笑」
パリの夜は存外暗い。
人通りはさすがに多く、控えめなオレンジの街灯の下、笑いさざめく人々の流れは途切れることがなか
った。石造りの欄干にもたれ、賑やかな会話と水音に次元は耳を傾け続ける。
1本吸い終わっても、まだホテルに戻る気になれなかった。ライターを探してポケットに手を突っ込むと、
固い物がふと手に触れた。
ちっぽけな携帯電話を引っ張り出し、画面を眺める。
どうしてるかね。
無意識に指が動いた。呼び出し音を聞きながら、新しい煙草を取り出す。
『・・・・・・何だ。』
電話に出た侍は、案の定不機嫌だった。
「『もしもし』くらい言えよ。」
『朝の5時だぞ。』
「悪ぃな、こっちはまだ夜の9時だぜ。」
『何か用か。』
取り付く島もない声に、思わず苦笑が漏れる。
「特に用はねえ。暇なんだよ。」
『・・・・・・友人とやらには会えたのか。』
「ああ、あれか。」
ライターが見つからない。あちこち探りながら、「会えたぜ」と一言だけ答えた。
『・・・・・・それで。』
「それで?」
『うまくいったのか。助けを求められていたのだろう。』
「・・・・・・。」
火のない煙草を咥え、プラプラさせる。
「あれァ、デマだった。」
『・・・・・・。』
沈黙が先を促す。
「いや、デマでもねえか。俺の命と引き替えに、あいつは助かるつもりだったからな。」
『・・・・・・終わったのか。』
「ああ、終わった。」
ゴソゴソと動く音がする。侍は起き上がったらしい。
『・・・・・・古い付き合いだったのだろう。』
「そんなこと言ったか?」
『損得抜きの仲だと、』
「忘れたな。」
『・・・・・・。』
暗い河が街の灯を映す。ライターを諦め、次元は口元の煙草を手に引き取った。
「ま、早く済んでよかったぜ。これでパリの夜を思う存分楽しめるってもんだ。」
『先程、暇だと言ってなかったか。』
余計なことばっかり覚えてやがる。
「ああ、こんな早い時間じゃ、まだイイとこはやってねえからな。これからだ。」
『・・・・・・。』
侍は黙っている。
「何だ、妬いてんのか?」
『妬いて欲しいのか。』
へとも思ってないような声だ。
「そうだな、ちっとは妬いてもらった方が、張り合いが出る。」
『くだらん。せいぜい楽しんで来い。』
「冷てえなあ。」
車道の方でクラクションが鳴った。
『切るぞ。』
「ああ。」
素っ気なく電話は切れた。
しばらく画面を眺める。ポケットに戻そうとして、ライターが欄干の上に乗っているのに今頃気がついた。
「・・・・・・何だよ。」
伸ばした手が引っかかった。カツ、と一度跳ね、ライターは暗い水底に消えて行く。
ちぇ、と舌打ちした。
*
いつも早起きの侍が、今朝はリビングに現れるのが随分遅かった。「おはよ〜さん」と声をかけても、返
事がない。読みかけの新聞を下ろし、ルパンは目の前の男をまじまじと見た。
「・・・・・・何かあったのか、五右ェ門?」
「教えて欲しいことがある。」
侍の手には携帯電話が握られている。
「ど〜しちゃったの、珍しいもん持って。」
「いろいろ試してみたがよく分からん。ルパン、これは写真が撮れるのではなかったか。」
「写真?」
手を伸ばし携帯を受け取る。
「なにお前写真撮んの?」
「うむ。」
「なんで?」
向かいのソファに五右ェ門は腰を下ろした。
「・・・・・・今朝、次元から電話があった。」
「おアツいねえ朝っぱらから。んで例の件どうだって?」
「お主の予想どおりだ。」
あ〜らららら、と声を上げルパンはソファに倒れ込んだ。
「ヘコんでた?」
「相当なものだ。」
「だ〜から言わんこっちゃねってんだよ。」
ひょろ長い脚をブラブラさせてから、「で、」とルパンは跳ね起きた。
「なんで写真?」
「電話もメールとやらも苦手なのでな。」
特段照れるでもなく五右ェ門は答える。
「泣かせるねええ♪ 元気づけてやりたい、って訳だ。」
「何か送ってやれば、少しは気も紛れよう。すまぬが教えてくれ。」
「五右ェ門ちゃんの頼みとあっちゃあ、しょうがねえ♪」
ここ押してな、ここ選んでこれでパチリ、と教えてやる。
「・・・・・・なるほど、簡単だな。」
「何撮んの?」
「うむ、なるべく愉快なものがよい。とりあえずお主を撮っておこう。」
「・・・・・・お前今すごい残酷なこと言ったよ?」
気にもとめず五右ェ門はレンズをルパンに向ける。
「ほらルパン、笑え。」
「イーーーだ!」
歯を剥き出しにした表情を収め、五右ェ門は笑った。
「良いぞ。なかなか愉快な写真だ。」
「俺ァちーとも愉快じゃねえよ。」
仏頂面でソファに沈み込み、ルパンは呻いた。
*
「・・・・・・五右ェ門? いねーのかあ?」
外出から戻ったルパンの呼びかけに、返答はない。車のキーやジャケットをテーブルへ放り投げてい
ると、シャワールームの方から扉の閉まる音が聞こえた。
確か自分が出かけた時、修業と称するあの過酷な鍛練は、既に2時間続いていたはずだ。あれから今
までやっていたのか。
「・・・・・・あいつぜってーマゾだよな。」
ソファに身を投げ出した。
「でもな〜んでか、俺には時々サドっ気見せちゃったりなんかするんだよな。」
ま、そゆとこもカワイイんだけど、と背伸びした視線の先に、青いものがひっかかった。
侍の携帯電話だ。
「・・・・・・。」
眺めていたルパンの瞳に、悪魔の笑みが宿る。
目にもとまらぬ勢いでそれをひっ掴み、ドアに張り付いた。廊下の様子を窺いながら、こっそりとリビン
グを抜け出す。
*
こんなにつまんねえ街だったか? パリって所は。
たっぷり取った睡眠も、部屋で取る極上のブランチも、次元の心を軽くすることはできなかった。ナイフ
とフォークを押しやり、煙草を掴んで窓際へ向かう。
昼間のセーヌ川はやけに白々としていて、見る者のロマンにも傷心にも無頓着だ。あっけらかんとした
流れを眺めていると、自ら訣別を与えた友の顔が、ふいに浮かんだ。
「・・・・・・ちっ・・・・・・、」
酒でも煽るか、と振り返った時だった。
ピピピ、という聞き慣れない音を耳が捉える。自分の携帯電話が発したものだと気づくのに、しばらくか
かった。
五右ェ門からのメールだ。珍しいこともあるものだ。
何の気なしに開いた瞬間、次元は絶句した。
「・・・・・・!?」
半開きの口から、ポロリと煙草が落ちる。
メールの中身は、珍しいどころの代物ではなかった。メッセージはなく、画像が何枚か添付されている。
見慣れたアジトのシャワールームだ。
理解ができなかった。
なんだってあの侍は、こんな写真を送り付ける気になったのか?
画像の中で、侍は着ているものを1枚1枚取り落としていた。はだけた着物から美しい背中が現れ、次
いで外したサラシの下から、次元の愛するあの腰骨の微妙なラインが姿を現す。褌1枚の尻は、生で見
るより写真の方が数段いかがわしかった。読み込み時間ももどかしく、次元はボタンを押し続ける。一糸
纏わぬ姿の五右ェ門が、取り去ったばかりの褌の端を拾い上げようと屈む後ろ姿を最後に、画像は唐突
に終わった。
俺にこれをどうしろってんだ!?
鼻息も荒く部屋の中を歩き回り、それからやっと次元は気がついた。
・・・・・・まてよ。
この写真を撮ったのは五右ェ門じゃねえ。
別の人間が撮影しなければ、このアングルにはならない。しかし送り主は確かに五右ェ門だった。
どういうことだ?
突然、手にした携帯電話が鳴り出し、次元は死ぬほど驚いた。当の本人からだ。考える暇もなく、通話
ボタンを押した。
「・・・・・・おう、五・・・・・・、」
『いま届いたメールを開いたかッ!?』
凄まじい剣幕の大声に、思わず耳から携帯を離した。直感がどこかから次元に囁く。
「・・・・・・いや、見てねえよ。」
ここはその方がいいと思った。
「この電話を取る時に、メールが来てるのに気づいた。なんだ? 何かあったのか?」
『・・・・・・いや・・・・・・、』
侍が口ごもる。
『・・・・・・見ていないのならよい。次元、そのメールは開かず消去してくれ。』
「何だよ、お前が送ってきたんだろう?」
『あれは拙者が送ったものでは・・・・・・! いや、いい。とにかく頼む、武士の情けだ。何も言わず消去し
てくれ。』
これで大体の見当はついた。
「・・・・・・分かったよ。何だか分かんねえが、見なきゃいいんだろ。消しとくよ。」
『・・・・・・まことか。』
「ああ。ちょいと気になるけどな、仕方ねえ。」
かたじけない、と呟き、侍は大きな息をついた。
「そっちは夜か?」
『・・・・・・ああ、8時だ。そちらは・・・・・・、正午か。』
「ああ。ちょうどメシ食ったとこだ。これから昼寝でもするかな。」
『街に出ないのか。』
「しょっちゅう来てる街だ。今更観光でもねえだろ。」
『出れば気分も変わるだろう。』
「・・・・・・。」
ベッドにごろりと横になった。
「心配してくれてんのか。」
『馬鹿を言え。』
「メール、」
『!?』
「お前からなら嬉しかったんだがな。」
『・・・・・・。』
「どうした?」
『・・・・・・そのうち、気が向いたら送る、かもしれん。』
何をごにょごにょ言ってやがんだ。次元はニヤニヤした。
「楽しみにしてるぜ。」
『いつ戻るのだ?』
「そうだな、遊び飽きたら、かな。」
『・・・・・・。』
五右ェ門がふいに黙り、それから、言った。
『・・・・・・早く帰れ。』
「・・・・・・。」
『ルパンが退屈している。うるさくてかなわん。』
「ダメだ」と次元は笑った。
『なに?』
「それじゃあ、帰る理由になんねえな。」
『・・・・・・。』
「言えよ。」
『・・・・・・。』
「五右ェ門、なあ、頼む。」
諦めたように大きな溜息をついてから、五右ェ門ははっきりと言った。
『拙者もお主の顔が見たい。』
ちきしょう、なんでここはパリなんだ。
ムクリと起き上がり、次元は「明日帰る」と告げた。
『勝手な奴だ。切るぞ。』
「ああ、じゃあな。・・・・・・そうそう、」
どうしても言わずにおれなかった。
「ルパンは殺すなよ。半殺しくらいにしとけ。」
『!?』
お主、まさか・・・・・・、と言いかける侍に「愛してるぜ」と答え、電話を切った。
「くっくっく・・・・・・、」
こらえ切れず漏らした笑い声が次第に大きくなり、部屋中に響く。
「ありがとよ。」
さて、とベッドから降り、窓に向かった。
「名残を惜しんで、出かけるとするか。」
陽を受けて輝くセーヌの流れが、眩しかった。
後日、自分も半殺しの目に合うだろうに、いい気なもんです(^−^)。
タイトルの「チャージャー(charger)」は、「充電器」という意味です。
この作品には、「ほんわか妄想」のシバフ犬さんが挿絵を描いてくださいました!
シバフ犬さん、ありがとうございます! 息子さんは一生大切にします(^−^)!
シバフ犬さんの挿絵はこちら! → 「チャージャー」
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