遠雷
何を好き好んでこんな所に来るのか分からない。潮風が吹きつけて、まともに目さえ開けていられない。
遠いリフトの音が、風にまぎれてここまで届く。薄い西日が、十年一日の建設風景を当たり前に照らし
た。
とにかく寒かった。
首をすくめてコンクリートの陰を足早に抜けた先に、その姿を認める。背中を丸めて海を眺める男から、
煙が流れては風にかき消えた。
声をかけず背後に立った。
ごくたまにこういうことがある。
いつもと何も変わらなかった。出動から戻り、部下が出入りする横で鼻をほじる。イヤホンの実況に一
喜一憂しながら、時々あくびを噛み殺す。
なにか悲しいことがあったらしい。
なぜと聞かれても全く説明できなかった。こちらが聞きたい。分かっているのはもうそろそろだということ。
案の定ふいと後藤は姿を消した。
何事もなかったかのようにしのぶは仕事を続けた。行方を尋ねる部下にさあ、と答え、コーヒーを入れ
て一息つく。
何本目かの電話。遠く雷の音が聞こえる。
没頭していた書類から顔を上げ、思い出したように時計を見た。
寒そうに細めた目の奥に何が映っているのか、しのぶには分からなかった。穏やかな口元。泣いてい
るのだと思った。
頬がしびれて温かいような気すらしてくる。同じくらい白い息が後藤の方へ流れた。
後藤がぽつりと呟いた。
「山を見よ、山に日は照る」
?
思わず男の方を見た。続きが口をついて出る。
「海を見よ、海に日は照る」
言ってしまってから、その続きに思い当たった。柔らかな目でこちらを見る後藤に、知らず口元が緩ん
でしまう。
ま、いいか。
ざらつく顎に手をのばした。甘えさせてあげる、たまにはね。
くち
いざ唇を君
※若山牧水「海の声」より
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