Before Job
「よう、パリ以来だな。」
5ヶ月ぶりに会う男の挨拶には、さしたる感慨も感じられなかった。
「うむ。」
自分の返事も似たようなものだ。向かいのソファに男が腰を下ろすのと同時に、首謀者がかまびすしく入ってきた。
「はいは〜い! 久々の逢瀬で盛り上がってるとこ悪ぃんだけっどもな。」
「どこが。」
ぷかあ、と煙を吐き出して次元が足を組む。
「盛り上がってんのはお前だろ。」
にししし、と笑い、ルパンはテーブルいっぱいに紙を広げた。
「今回は事前の準備がい〜っぱいあるからな、イチャつくのはお仕事が終わってからにしてちょーだい。」
「ごほん、」
思わず咳ばらいをした。
「仕事をしに来たのだ。そのようなことをいたすか。」
「ああまったくだ。」
楽しげに次元が請け合う。「ほんじゃま」とルパンは各々に紙を振り分けた。
「これがそれぞれの作業な。次元はこの通りに動画を作ってくれ。ちーっとばかし量が多いけど、がんばってな。」
指示書をちらと眺め、次元が目を丸くする。
「これ・・・・・・、『1min.×1000』ってのは・・・・・・、動画1000本ってことか!?」
「そ。1000本の中身はところどころ違ってっから、気をつけろよ。」
「 、」
どこがちっとばかしだ、と天を仰ぐ男を尻目に、ルパンが侍の方を向く。
「五右ェ門は、ルパン人形1000個作成な。これも指示書通りに仕掛けを変えてくれ。」
「・・・・・・1000。」
裁縫は不得手ではないが、さすがに眩暈のする量だった。2人の顔色にはお構いなしで、ルパンが立ち上がる。
「んでもって、俺はそれぜ〜んぶ使った仕掛けを組み上げる、と。あと3日しかねっからな。気合い入れていこうぜ!」
「3日ぁ!?」
「だ〜いじょぶだいじょぶ! 天下のルパンファミリーが本気出しゃ、こんなの朝飯前よ! さ、張〜りきって作業開始〜!」
ルパンだけがどこまでも陽気だった。追い立てられながら、五右ェ門はそっと息をつく。
これは本当に、よそ事をしている場合ではないな。
いや、もちろん、そんなつもりは毛頭ないのだが。
ふと視線を感じ、振り返った。次元がこちらを見ている。
侍が何か言う前に帽子をくいと上げ、すぐに男は廊下へ消えた。
「・・・・・・!」
心臓が、どくんと跳ねた。
*
あてがわれた和室の真ん中に座り、布きれと綿と仕掛けの山を眺めて、五右ェ門はため息をついた。
裁断は訳もなく済んだ。元より五右ェ門にハサミは必要ない。次は1000個分を縫い合わせる作業だ。それから全部に綿を
詰めて、それぞれ装置を埋め込んで・・・・・・、
「・・・・・・。」
気の遠くなるような作業量に、ふー、とまた1つため息が出る。それでも最初のいくつかで試行錯誤が済むと、あとは自動
的に手が動くようになった。
いつの間にか、あの男のことが頭に浮かんでいる。
まったくいつもどおり、普通に見えた。去り際に一瞬、帽子を上げたあの時までは。
侍だけに、あの男は見せた。
嬉しそうな、人なつこいようなその目を。
不意打ちとは卑怯ではないか、と侍はひとりごちる。ふと喉の渇きを覚え、作業の手を下ろした。水でも飲むかと胡座を解
き、立ち上がる。
リビングを抜けようとして、足を止めた。部屋の隅のパソコンデスクで、次元がモニターに首っぴきになっている。足を止め
させたのは、その顔にかかっている眼鏡だった。
「なんだ、休憩か?」
侍に気づき、男がモニターから顔を離す。
「目を悪くしたのか、お主。」
「ああこれか。」
くい、と指で眼鏡を上げてみせる。
「ルパン特製の特殊メガネだ。作業で目を悪くしたら、俺はおまんまの食い上げなんでな。」
「ああ、なるほど。」
黒の太いセルフレームは、男を少しだけ若く見せるようだった。似合っていると言えなくもない。もの珍しさも手伝って、しば
しその顔を眺めた。
「・・・・・・。」
次元がちょいちょい、と手招きする。
「?」
何の気なしに近寄った。
突然、手を引かれた。
眼鏡が顔にかしゃ、と当たった。
ちゅ。
「・・・・・・!」
慌てて身を引き離す。飛びすさり、侍は叫んだ。
「 何をする!」
「何って、キスだろ。」
「ばかもの、ルパンに言われたばかりではないか!」
「いいじゃねえか、キスくらい。」
「よくない!」
キッチンに行こうとしていたのも忘れ、部屋に駆け戻った。
まったくよくない。あやつめ、あんな所でいきなりすることか。
憤然として針と糸を取り、闇雲に手を動かした。
5ヶ月ぶりだぞ。おかげで色々思い出したではないか。唇の厚みとか、喉に当たる髭とか、ごつごつした掌とか・・・・・・、
「 !」
蘇る感触に、侍はぶん、と首を振った。集中が足りぬ。よいか、修業中だと思え。雑念を追い払い、裁縫に没頭しようとした、
その時。
「よう、入るぞ。」
突然襖が開き、次元が顔を出した。
「 なんだ。」
やっとのことで、平静な声を出す。
「いや、ライターがなくてな。」
どっかこの辺に・・・・・・、とか何とか言いながら、男は部屋の中をうろつき始めた。自然と堅くなる身体に気づき、侍は自分を
戒める。しっかりしろ、こんなことで緊張している場合か。背をしゃんと伸ばし、なるべく素っ気ない声を出した。
「見なかったぞ。」
「そうか? どこやったかな・・・・・・、」
絶対にあるはずのない引き出しなど開けている男の背が、どことなくそわそわして見える。諦めたのかとうとう振り返り、頭
を掻いた。
「やっぱりねえな。」
「そうか。」
「・・・・・・邪魔したな。」
後ろを通り過ぎかけて、男が立ち止まる。
「・・・・・・五右ェ門、」
「ならぬ。」
ぴしゃりと言ってやった。
「・・・・・・ちぇ。」
微動だにしない侍の背中を未練がましく眺めてから、次元が部屋を出る。ちくちくちく、と5針縫った。
「・・・・・・。」
手を止めた。人形を床に置いた。
立ち上がり、のしのしと襖に向かった。
いいじゃねえかちょっとくらい。5ヶ月ぶりだぞ。
閉めた襖からまだ手が離せず、次元は心の中でぶちぶち言った。大体なんだあいつのあの様子は。久しぶりなんだからも
うちっと嬉しそうに 、
突然、襖が開いた。
まだ引っかけていた手を持っていかれ、「ぉわ」とよろめく。顔を上げると侍がいた。
「いや、別に 、」
出かかった言い訳が、飲み込まれて消えた。
「 !」
ちゅうううううう・・・・・・
のけ反り過ぎて、1人で立っていられない。
覆いかぶらされ、体ごと抱き締められて、唇を思い切り吸われているらしいとやっと把握した頃、侍はつい、と離れた。
「・・・・・・ごえ、」
「拙者も、これで我慢する。」
きっぱりと、侍は言った。思わず次元が伸ばしかけた腕を、恐い顔で押し返す。
「だから、お主もこらえろ。」
「おま、」
「仕事をするぞ。」
すぱん、と襖は閉まった。
「 、」
立ち尽くし、しばらく次元はぽかんとした。
それから、ふ、と笑う。
そうだな、今やることは 、
踵を返し、部屋へ向かった。
*
「 次元、晩飯だ。」
部屋の外から呼びかけられ、没頭していた作業から顔を上げた。もうこんな時間か。しょぼしょぼする目を揉みながら、キ
ッチンへ向かう。
侍が用意したのは簡単な汁物だったが、からっぽの胃にはありがたかった。侍には飯を、自分にはパンを出しながら、「ル
パンは」と尋ねる。
「部屋で食べるそうだ。ほとんど物も言わん。」
「まあ、あいつの作業が一番大変だからな。」
言葉少なに食事をした。
侍も相当疲れているのだろう、首を回したり肩を揉んだりしている。なんとなくげっそりして見えた。
「どうだ、進み具合は。」
「・・・・・・うむ、」
少しだけ、侍は言い淀んだ。
「・・・・・・おそらく、あと300ほどだ。」
「 、」
思わず顔を上げた。恐ろしく早くねえか。もしかして、こいつも 、
「お主はどうだ。」
侍が尋ねる。
「ああ、うん。」
「なんだ、進んでおらぬのか。」
「いや・・・・・・、お前と似たようもんだ。」
「・・・・・・。」
食事の手を止め、侍も次元を見つめた。同じことを考えている。ニヤリと笑い、「ごっそさん」と立ち上がった。
流しに食器を放る。腕をまくる五右ェ門の隣に立った。
「俺もやる。気分転換だ。」
「・・・・・・。」
黙って侍がスポンジを取る。泡だらけの皿を渡され、次元が水で流した。
「!」
水が跳ねた。髭の雫を拭った。
侍がこちらを見た。
目が離せなくなった。
「 、」
こんな、なんでもない接吻なのに。
胸の奥が痛い。
離した唇を、もう一度だけ触れさせた。
水音が響いた。
きゅっ、と蛇口を締めるのを潮に、2人は身を離した。手にしていた最後の皿を、次元が水切りかごに入れる。
「 さ、戻るか。」
「うむ。」
のろのろと別れ、仕事部屋に向かった。
*
我ながら、可笑しくて仕方がなかった。
たったのあれだけだろ!
あれっぱかしのことで、この股間のみなぎりようときたらどうだ。
やれやれと椅子に腰を下ろし、眼鏡をかけた。自分で処理して済ませるのは簡単だが、今はその気になれない。画面に戻
りひたすらキーを叩きながら、次元は煙草をたぐり寄せた。
おおかた、侍も苦労していることだろう。
部屋に戻り、五右ェ門は畳の上にどっかと座り込んだ。ふーー・・・、と長い息を吐く。
じわじわと熱くなる下腹部をなるべく意識しないようにして、座禅を組んだ。外に飛び出して愛刀を振り回せば気も紛れよう
が、今はその間も惜しい。
ふと、唇に手をやった。
重ねた感触がまだ残っている。唇以外は指一本触れなかった。舌さえ挿し入れるのを、必死にこらえた。
収まりきらないその場所に、熱が渦巻いてふつふつと溜まってゆく。ちらと目に入った次元のそこも、もう勃っていた。今頃
あの男も、こんな風に我慢しているのだろうか。それとも、既に荒々しく 、
「 !」
我に返り、パン!と両手で頬をはたいた。今やるべきことは、こんなことではない。
全身に気合いを込め、針と糸を手に取った。
*
「・・・・・・ねみぃ。」
昇る朝日に手をかざしながら、次元は大欠伸をした。体中がギシギシと軋んだ音を上げる。眠気と疲れでドロドロだったが、
気分は悪くなかった。
やればできるじゃねえかとひとりごち、立ち上がる。吸殻の溢れ返った灰皿を無造作に掴み、キッチンへ向かった。もう誰
か起きているらしい。物音がした。
「 起きたか。」
こちらを振り返る侍は、ちょうどコンロに湯をかけたところだった。
「 茶を淹れるが、飲むか。」
「いや、コーヒーにする。」
黙って2人、手を動かした。侍が湯を注いだ茶葉から、香ばしい香りが立ち上る。
やかんを次元に渡し、侍が大きく伸びをした。
目の前の窓から入る朝日を正面に浴び、眩しそうに目を細める。涙が滲み、隈をこしらえた侍の目元はひどい有様だった
が、気が満ち溢れているのが分かった。
ドリッパーに湯を注ぎながら、次元は確信する。
「・・・・・・できたんだろ、全部。」
「 お主もな。」
にやりと笑い、五右ェ門がこちらを向く。嬉しそうな笑顔が眩しかった。つい、自分もつられたらしい。
「何を笑っておる。」
いたずらげに片眉を上げて、侍が問う。
「いや、ひでえ顔だと思ってな。」
「人のことが言えるか。」
「随分、急いだんだな。」
「お主は急がなかったというのか。」
侍が覗き込んでくる。ふ、と笑った。
手にしたやかんを台に置いた。
唇は、逃げなかった。
強く口づけても、昨夜のような劣情はもう襲ってこない。みなぎる充実感と快い緊張を確かめ合い、唇を離すと、どちらから
ともなく笑みがこぼれた。ガツ、と拳を合わせる。
「さ、行くぞ。ルパン起こしてくる。」
「拙者が行く。お主はまず髭を剃れ。」
「お〜はようさん! 2人とも早いんでねえの。」
底抜けに明るい声に、次元と五右ェ門が振り返る。2人の口から同時に「遅いぞ」の声が飛んだ。
「俺たちゃ全部完了だぜ、ルパン。お前ももう済んでんだろうな。」
「へ?」
きょとんとするルパンに、五右ェ門が次の間のドアを開けてみせた。
「うお!」
積み上げられた段ボールに目を丸くして、ルパンが呆れたように呟く。
「・・・・・・仕事早過ぎだろ、お前ら。」
「このくらいの量、ルパンファミリーには朝飯前でござる。」
澄ました顔で、侍が言う。
「お前はどうなんだ。まだなら手伝うぜ。」
「できてるっつの。俺様の早業を自慢しようと思ったら、これだもんな〜。」
「何をごちゃごちゃ言っておる。できたのならゆくぞ、ルパン。」
山積みの段ボールを抱え上げ、侍がすたすたと玄関に向かう。呆気に取られるルパンの肩をぽんと叩き、「悪ぃな」と次元
は囁いた。
「何だか知らねえがやっこさん、やけにやる気でよ。」
「・・・・・・よく言うぜ、お前もだろが。」
ちろん、と見上げるルパンの視線には、気づかないふりをした。
「さ、行くぞ。」
「あ〜あ! コーヒーくらい飲みたかったな〜!」
「帰って来たら淹れてやるさ。」
「嘘つけ! 帰って来たらお前らそれどころじゃねえだろが!」
「妬くな妬くな。」
「何をしておる2人とも。早く運ばぬか。」
戻ってきた侍が戸口に立ちはだかる。「はいはい」と荷物を抱え、ルパンと次元は慌てて部屋を飛び出した。
まったく、と息をつき、侍も愛刀を携えて部屋を出る。
飛ぶように、軽やかな足取りで。
だいぶ前に月子さん宅のチャットで、「ルパンがいるから我慢して、でもちゅーだけはしちゃって、ムラムラする2人がいい」
という話をしました。具体的に妄想したらこうなりました(^−^)。
ああ私はこういう何でもない二人の会話が死ぬほど好きだわ!
楽しくって、いつまでも書いていたかったです。
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