14番目の








 力を込め過ぎた眉間が痛かった。

「まあ、なんだ。」

 ずらりと並んだ背中の向こうから声が聞こえる。

「これ読んだ感じじゃ、みんな分かってるみたいだけどね。」

 報告書を振っているのだろう、ひらひらいう音が耳障りだった。目の前の書類にペン先を苛々と打ち付
けてしまう。

「後から考えりゃ、どうするべきだったかなんて、まあ誰にでも分かる話でね。俺たちにも、もちろん第三
者の皆さんにも。」

 マスコミがどんなに容赦なく書きたてるか、容易に想像がつく。しのぶはため息をついた。

「俺たちが考えるべきはその先だ。どうして『その時』に判断できなかったのか。」
「・・・・・・はい。」

 口々に返事する隊員達の声は、あくまでしおらしい。

「ま、そこらへんをもう少し考えてこい。あとは・・・、」

 声がしなくなったと思ったら、目の前の行列がもそもそと回れ右をしてこちらを向いた。後藤が促したの
だろう。

「・・・・・・あの、南雲隊長。」

 神妙な声が降ってくる。大きく息を吸い、顔を上げた。

「・・・・・・申し訳ありませんでした。」

 頭を下げる若い隊員達に何を言えというのだろう。せり上がる感情的な言葉を、しのぶは喉の所でかろ
うじて留めた。

「・・・・・・後藤さんの話が分かったなら、私から言うことはありません。」

 視線を感じたが、敢えて後藤の方は見なかった。野明がおずおずと口を開く。

「あの・・・・・・、石和さん達は大丈夫ですか?」
「病院からの連絡待ちです。」

 固い声をどうすることもできない。早くこの場を終わりにしたかった。

「今後の隊務に活かしてください。以上です。」

 読んでもいない書類に目を落とす。もう一度頭を下げてから隊員達がぞろぞろ出て行くと、隊長室は急
に広くなった。
 後藤がまだこちらを見ているのが分かる。
 頼むから、いま話しかけないで、と念じた。

「しのぶさ・・・・・・、」

 ガタンと大きな音を立て、しのぶは反射的に立ち上がった。

「カップ洗ってくるわ。」

 見上げる後藤に目もくれず、部屋を出る。我ながら狭量な人間だと思う。
 静まり返った部屋に、首を鳴らすゴキンという音が響いた。

「無理もないか・・・・・・。」

 後藤の声にかぶさるように、電話が鳴った。



     *



 カップを水切り籠に置いて手を拭くと、もうやることがなくなった。冷えた手を瞼に押し当て、長い息を吐
く。
 誰が悪い訳でもなかった。結果として、第二小隊のとばっちりを受ける形にはなったが、あの現場で的
確な判断が下せた自信は、正直自分にもない。彼らを責めるのは筋違いだ。もちろん、彼も。
 気づくとこめかみを嫌というほど押していた。非難の堰を必死に押しとどめている自分に気づく。コンク
リートの柱に寄りかかり、ごち、と頭を当てた。

     変だわ、私。

 以前の自分なら、とっくにあの男を面罵しているところだった。今のしのぶにはそれができない。

「洗いもの、終わった?」

 はっと顔を上げ振り向いた。
 いま一番会いたくない顔だ。ちらと認め、すぐに目を落とした。

「何か用?」

 視線の先で、サンダル履きの素足がもぞもぞ動く。

「電話、あったよ。」
「!! 病院から?」

 噛みつくような調子のしのぶに、「大丈夫だよ」と後藤はぼんやり笑った。

「石和が全治3週間。古賀は、明日の検査で問題なければ放免。あとの連中は明日から出てこれるって
さ。」
「そう・・・・・・。」

 力が抜け、ゆるゆるとシンクに寄り掛かった。押し寄せるこの重いものが安堵なのか疲労なのか、よく
分からない。
 冷蔵庫がブーンと唸りを上げた。

「・・・・・・うち来ない?今日。」

 後藤がぽそっと言う。見上げることができなかった。

「・・・・・・行かないわ。」

 なんて情けない声だろう。後藤も「うん」と一言頷いたきり、何も言わず背を向けた。
 サンダルの音がやけに響いた。



     *



 無人の電算室は昼間より数段やかましい。Enterキーを押してからキーボードを押しやり、大仰なプリン
タ音に埋もれるように突っ伏した。
 後藤を前にすると悪口雑言を投げつけてしまいそうだ。
 もちろんあの男は平身低頭謝るだろう。しかし今それをやりたくなかった。やってはいけないような気が
した。
 なんということだろう。後藤を自分の中に住まわせてしまってからそれに気づいた。
 何かあるたびにあの男にぶつけることで、自分はずいぶん救われていた。
 プリンタの音が止まった。
 静寂がしのぶを突き放す。
 両頬をぴしゃりと叩いて立ち上がった。1人で帰ろう。

 入り口近くのスイッチを消した。照明が落ちた瞬間、意外なほどの明るさがしのぶを捕らえる。
 思わず窓の方を振り返った。

「あ・・・・・・、」

 今日はその日だったのか。



     *



 裏口から出た戸外は、夜とは思えない明るさだった。
 波音のする方へ歩き、防波堤にもたれかかる。
 輝く月に照らされて雲が光る。そこだけ昼でも夜でもないように、光景はただそこにあった。
 満月と思われた月は、ほんの少しだけ左がいびつだった。
 足音が聞こえる。後ろを見なくても誰だか分かった。

「・・・・・・今日だっけ。」

 シュボッ、とライターの音がする。

「・・・・・・違うみたいよ。少し欠けてるわ。」
「あ、そうお?」

 横に男が並ぶ。「そうだね。」という声と同時に、煙の匂いが流れてくる。

「『次の夜から欠ける満月より』ってね。」
「・・・・・・なに、それ。」
「知らない? ユーミンの歌。」
「知らないわ。」
「あ、そう・・・・・・。」

 どうしてこんな言い方しかできないのだろう。苛立ちは言葉となって更に重ねられる。

「・・・・・・どうしてつけ回すの?」
「つけ回す?」

 とぼける男に憎らしささえ覚えた。

「そんなに頼りないの。」
「・・・・・・。」

 後藤は黙って煙草をもみ消した。
 そのまま、ゆっくり後藤が後ずさる。
 これでいい、と思った。

 突然、背後から抱きすくめられた。

「な・・・・・・!」
「いいから、黙って聞きなさい。」

 はっきりした口調に、思わず口をつぐむ。

「甘えなくていい。そういうとこが好きだから。」
「・・・・・・。」
「ただね、」

 後藤の顎が頭の上に乗った。

「俺が甘えるのは許して欲しい。」
「・・・・・・。」
「だめかね?」

 この男は     

 黙って振りほどいた。

「しのぶさん・・・・・・、」

 後藤は言いかけたまま、しのぶの口から出る言葉を待っている。
 なんて顔をするのだろう。
 この男は本当にずるい。
 やっとのことで口を開いた。

「・・・・・・やっぱり、行ってもいいかしら。」

 今の自分にはこれが精一杯だった。

     うち?」

 後藤が破顔する。

「来てよ。お願い。」

 本当に、なんて顔をするのだろう。
 つられて緩む口元を見られたくなくて、月を見上げた。
 後藤が「しのぶさん、」と声をかける。

「煙草、もう1本吸っていい?」
「・・・・・・ご自由に。」
「しのぶさん、」
「なに。」
「手、つないでいい?」

 黙ってそちらに差し伸べた。
 引き寄せられて月が見えなくなった。

 煙草はどうしたのよ、と思った。






→BACK